JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える=(43)=新たな活動と移民の歴史に思い馳せ=イボチ日伯文化体育協会日本語学校=細川康雄

ブラジルのリオグランデ・スル州イボチ市にJICA日系社会海外協力隊の日本語教育隊員として赴任している細川康雄です。本紙への寄稿は2回目です。私は平日、土曜日の授業のほか、月に2回のフェイラ(青空市)で、日本語学校を開放してひらがなワークショップをしたり、去年結成され、私も参加しているイボチ和太鼓チームのパフォーマンスなどで協力しています。
嬉しいのは、太鼓をたたき、盆踊りをすると、必ず何人かが踊りの輪に加わってくれることで、ブラジル人の陽気さや乗りの良さに感謝の思いです。
和太鼓チームは、日本語学校の生徒で日系、非日系のメンバーが中心ですが、太鼓が上達するとともに、積極的に対外的なパフォーマンスを行うようになりました。彼らが太鼓に没頭していく姿は、青春の情熱を感じさせます。さらに、イボチ市の演芸会、運動会などその他のイベントにも参加するようになるなど、今後の日系社会の中心として活躍してくれそうです。
また今年からイボチ市でも剣道教室が始まりました。剣道はリオグランデ・スル州では州都のポルト・アレグレ市と隣町で行われていて、イボチ市のフェイラの度にパフォーマンスを披露していました。
いざ、イボチ市で始めるとなると道具もなく、やってみたいという人がいるのか不安でしたが、これまでに日系、非日系合わせて4~5人(大人も子供も)が参加してくれています。
剣道は自分の中学、高校時代の青春の思い出で、すでにやめてしまったことを後悔しながらも自分の経験を絞り出しています。和太鼓、剣道ともにイボチでの新たな日本文化の拠点として成長してほしいです。

イボチ市は今年で日本人移民による入植60周年を迎え、去年、記念のドキュメンタリー映画が完成し、盛んに試写会を行っていますが、今年は、その歴史を本にまとめる活動が進められています。
私も日本語編について協力をしていて、集められた資料などを読む機会があるのですが、第一次入植の26名に始まり、3年間は電気がない生活、養鶏場を建てるもほどなく突風で倒壊するなど様々な困難を乗り越え、現在に至る経緯を知ることができました。
厳しい生活の中でも、足の早いものは運動会をやろうと言い、歌がうまいものは演芸会をやろうと言い、そうして様々な日本的なイベントが始まったと言います。そして、仕事や活動の後にピンガ(酒)を飲む。開拓者たちの青春の思い出です。
それぞれが苦労しながらも教育を大切にして、2年後には州知事に小学校建設を依頼し、5年後に創立されたそうです。その学校は現在の移民資料館となり、昔、子供たちを集めての寺子屋的な日本語教育の場が現在のイボチ日本語学校になりました。
当時からこの土地はブドウ栽培に適しているとされ、イタリアぶどうや日本のぶどうなども栽培されるようになりました。多くは食用ですが、ワインも生産されており、ブラジルワインの90%はこのリオグランデ・スル州産なのです。いいところは30~40レアル(1,000円前後)で、おいしいワインが飲めるところです。最近はブラジルワインにはまってしまって、移民の方々の努力に思いをはせながら、今夜もブラジルワインで晩酌です。