site.title

カトリック大祭に計300万人=アパレシーダとナザレに巡礼

2025年10月15日

万華鏡1
12日、信者で埋め尽くされたアパレシーダの大聖堂(13日付G1サイトの記事の一部)

10月、国内でカトリック教徒による大規模な宗教行事が相次いで開催された。サンパウロ州アパレシーダ・ド・ノルテ市に位置する、国家守護聖人アパレシーダを祀る聖母大聖堂(Catedral Basílica de Nossa Senhora Aparecida)には、過去最高水準に迫る約50万人の信徒が参拝。一方、北部パラー州ベレン市で行われた聖母ナザレを崇敬する巡礼行列には250万人もの信者が集結した。これらの行事は、ブラジル社会に根付く深い信仰心と地域共同体の結束を改めて浮き彫りにするものとなったと13日付のG1など(1)(2)が伝えている。

ブラジル最大のカトリック教会であるアパレシーダ聖母大聖堂には、「守護聖人祭(Festa da Padroeira)」期間の10月3〜12日に、合計49万4689人の信徒が訪れた。特に「聖母アパレシーダの日」の12日当日には15万2161人の参拝者を記録し、25年における最多の来訪者数となった。

この数は、前年同期間中の来訪者数32万0689人と比べて34%の増加。12日の単日比較でも、今年は前年の13万9821人を8%上回った。

「聖母アパレシーダの日」は1717年、パライーバ川で漁師たちが網に黒い素焼きの聖母像の首が引っかかり、その後に体も偶然引き上げ、さらに大漁に恵まれたという出来事に由来する。これが〝奇跡〟として全国に広まり、その地は聖域に指定され、聖母信仰の象徴として崇敬を集めるようになった。

1980年には教皇ヨハネ・パウロ2世により、そこが国内唯一の「国立聖域(Santuário Nacional)」として認定された。記念日は国家の祝日として定められ、毎年10月12日に盛大な宗教行事が行われている。

一方、北部パラー州ベレン市では12日、聖母ナザレを讃えるカトリック最大の巡礼行事「ナザレ大祭(Círio de Nazaré)」が執り行われた。第233回を迎えた今年の行列には、約250万人が参加し、国内最大の宗教的集会となった。

同祭は、18世紀初頭にベレン近郊の森で農民が聖母像を発見したとされる出来事に由来する。その後、像が何度戻しても発見地点に戻っていたという言い伝えが〝奇跡〟として語り継がれ、聖母信仰が広がった。ベレン市では毎年10月に盛大な巡礼行列が行われるようになり、現在では国内外から数百万人の信徒が訪れる一大宗教行事となっている。

巡礼は午前6時15分、ミサで始まり、午前7時28分に聖母像がベルリンダ(台座)に安置され巡行開始。像はセー大聖堂を出発し、約3・6キロを進んで正午頃、終点のサントゥアリオ広場に到着した。巡礼路は旧市街中心部を通過し、青空市場「ヴェル・オ・ペーゾ」や港湾地区「エスタソン・ダス・ドッカス」、レプブリカ広場などを経由。所要時間は約6時間だった。

祭典期間中、多くの参加者が個人的な誓願(プロメッサ)を果たすために巡礼に臨んだ。中には、授かった恩寵への感謝と新たな祝福への祈りを込めて、バレエのステップで巡礼の道を進む若い女性の姿も。病の癒しに感謝して「エスヴォト(奉納物)」を手にする高齢女性の姿も見られた。彼女が携えていた奉納品は、肺、身体、顔を模した三つの小像で、それぞれ姉、自身、息子に授けられた癒しを象徴しているという。

巡行の象徴ともされる「シリオのロープ(corda do Círio)」をめぐっては巡行中、これに触れようとする信者が殺到し、所々で混乱や喧噪も見られた。このロープは、聖母像を載せたベルリンダを信者たちが引くためのもので、信仰の証として握りしめながら進むことが、祈願や感謝の行為とされている。中には、ロープの一部を切り取って持ち帰ろうとする参加者も見受けられた。ロープに触れることで恩寵を得られると信じる人々の思いが、現場の熱気を一層高めた。

今年は刃物による殺人未遂事件が発生。危険物持ち込みに関しては警告が出されていたが、事件はそれを無視する形で発生し、容疑者はサンブラス地区警察署に連行された。

こうした過激な一幕がありながらも、宗教の枠を超えた精神的結束も示された。アフロ系宗教を信仰するアンドレイ・フォンセカ氏は、同行事を異なる信仰が交わる「融合の瞬間」と捉え、カトリック、福音派、アフロブラジル宗教の人々が、聖母ナザレへの敬意を通じて共に歩む場であると語っている。


セレソンが日本に歴史的敗北=現地紙「精神的脆弱性浮き彫り」前の記事 セレソンが日本に歴史的敗北=現地紙「精神的脆弱性浮き彫り」
Loading...