超富裕層研究の人類学者=「リッチになれる」は幻想

「いつか自分も金持ちになれるかも」――そんな期待がブラジル社会にも根強くある。15年にわたり国内の超富裕層を調査した人類学者ミシェル・アルコフォラド氏は、それがいかに現実とかけ離れた幻想であるかを指摘する。8日付BBCブラジル(1)のインタビューを通じ、同氏はブラジルにおける階級構造とその格差が、いかにして維持・再生産されているかを鋭く論じた。
著書『金持ちのこと(Coisa de Rico)』で知られるアルコフォラド氏は、「ブラジルでは貧困層が暮らし向きを改善するたびに、富裕層も同じか、それ以上に豊かになってきた。左右どの政権期であれ、国内の貧富の格差は変わっていない」と強調。
彼の研究はこうした不均衡を是正するうえで、可視化されにくかった超富裕層の行動や価値観に光を当て、構造的な格差がいかに再生産されてきたかを示す試みだという。
リオ州立大学で博士号を取得し、現在はコンサルティング会社を率いるアルコフォラド氏は「国内で『リッチ』とされる人々の暮らしは、単なる資産や収入だけでは測れない」と述べる。彼らが持つ「富」はライフスタイルや所作、語彙、人間関係に至るまで「パフォーマンス」として表現される。その根底には「自らの地位は当然のものであり、初めからその位置にあった」と周囲に信じ込ませる演出があると言う。
富裕層の内面に踏み込んだエピソードとして、スイス・ジュネーブで出会ったある女性の話が紹介されている。伝統ある資産家の一員であるその女性は、家族に代々受け継がれてきた香水の香りを再現するために、1万5千ユーロ(約265万円)を投じるべきか悩んでいた。貧困が蔓延する祖国を思い、道徳的な葛藤を抱えながらも、彼女は結局その香水の再現を選ぶ。「私たちが量販品の香水しか手にできないのとは対照的に、彼女にとっては香りさえも階級を分かつ象徴となっていた」と彼は語る。
こうした階層の違いは、食事の場などの日常にも表れる。レストランでメニューにない料理が提供されたりといった行動が、「誰が主導権を握っているのか」を無言のうちに示す。その振る舞いは一見洗練されて見えるが、力の差を浮き彫りにしている。
特に注目されるのが、ブラジル社会に根強く存在する「富への幻想」だ。「人々は金持ちについて知るのが好きだ。なぜなら『いつか自分もそうなれる』との幻想を抱いているからだ」と同氏は指摘する。米国の「自力で財を築いた成功者」への賛美とは対照的で、ブラジルでは「富はもともとそこにあったものを賢く手にした者が自然と得るもの」とする価値観が根強いと言う。
このため「どのようにして富を築いたか」には関心が向かず、「どれだけの贅沢を享受しているか」にばかり目が向くという。
「富の演出」も特徴的だ。富裕層でなくとも、より豊かに見せかけようとする行動が一般化し、それはSNSの使い方からファッション、話し方にまで及ぶ。「実際には資産がなくとも『金持ち風』に振る舞うことが価値を持つ」と同氏は説明する。その風潮が高級志向のインフルエンサーへの関心にもつながる。
調査では「富裕層の世界に入り込む」こと自体が一つの試練だった。彼らは、時間がないふりをしたり、形式ばった儀式を通じて外部の人間をふるいにかけたりすることで、「外の人間」と「内の人間」を峻別する。「彼らの信頼を得るには、まるで宮中に参内するような所作と敬意が求められた」と回顧する。やがて「ラグジュアリーの人類学者」と認識されるようになった同氏は、富裕層から「専門家」として受け入れられる立場を築いた。
インタビューでは経済的な基準だけでなく、富の「意味づけ」や「演出」も含めて、誰が「本当の金持ち」であるかを考えるべきだという主張も展開された。例えば、月収2万6千レアル(約74万円)で都心の高級住宅に住み、外国旅行や高級レストランに通い、子どもを高額な私立校に通わせる暮らしをしている人々は、統計的には「上位1%」にあたるが、本人にはその自覚がないケースが多い。その感覚のズレが「本当の富裕層はもっと上にいる」との思い込みを助長し、格差の実態を覆い隠していると分析する。
興味深いのは「新富裕層」や「伝統的富裕層」といった分類が、内部でも自己定義や階層内の差異化のために活用されている点だ。アルコフォラド氏はそれを「リッチたちの間でのヒエラルキーの再編成」「リッチの中のリッチ」を名乗るための競争と位置付ける。
調査対象に黒人は含まれていなかった。同氏自身も黒人だが、「これは富裕層の排他性を示すものであり、ブラジル社会全体に横たわる人種格差の反映にすぎない」と冷静に語る。「調査中、黒人である自分に対する視線や扱いが変わることはあったが、それは社会全体で経験してきたことであり、特段に富裕層だけが差別的というわけではない」と指摘する。
調査を通じ、アルコフォラド氏は「階級間の〝橋〟を増やし、〝壁〟を減らすことこそがブラジル社会の安定につながる」と訴える。「格差は消せなくとも、異なる階層が接点を持てる社会構造を目指すべきだ」とし、そのためには「誰が富を持ち、どう再生産されているのか」を知ることが出発点になると結論づけている。