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《特別寄稿》誰も書かなかった日伯音楽交流史=坂尾英矩=(27)ブラジル音楽本邦初公演=コパカバーナの歌姫ノエリア・ノエル

2026年2月21日

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 先日、数十年も音信のなかった日大時代のバンド仲間から、突然エアメールが届きました。今どき珍しい封筒を手にした瞬間、胸の奥がざわりとしました。

 中には短い手紙と、新聞の死亡記事のコピーが一枚。

「ノエリアが死んだよ。俺たちも年を取ったな」

 それだけの一文でした。

 もし単なる訃報であれば、「そうか、そういう年齢だものな」と静かに受け止められたかもしれません。けれど、私の心を強く揺さぶったのは、その死因が「老衰」と記されていたことでした。

 老衰――。

 その二文字が、どうしても私の記憶の中の彼女と結びつかないのです。

 私がノエリアと出会ったのは、1958年11月、リオのコパカバーナ海岸でした。それきり一度も会っていません。だから私の中の彼女は、永遠に27歳の、美しい水着姿のままなのです。

 老衰と、海岸の眩しい陽光を浴びた若き日の美女。

 その落差が、あまりに大きすぎました。

 私はしばらく椅子に座ったまま、ぼうっと遠い昔へ引き戻されていました。67年前の、あの海の匂いと、まぶしい光の中へ。

 当時私は仕事の関係で、コパカバーナ海岸通りに滞在していました。昼下がり、いつものように砂浜で甲羅干しをしていると、突然、背後から澄んだ女の声がしました。

「コンニチワ」

 日本語でした。

 振り向くと、そこには黒髪のラテン系美女が立っていました。思わず私は、

「コパカバーナで日本娘に会うとは思わなかった」

 と口走っていました。彼女はくすりと笑い、

「東京に住んでいたのよ」

 と答えたのです。

 その瞬間、私ははっとしました。

 映画では濃いメーキャップをしているので気づきませんでしたが、素顔の彼女は、あの日本映画に出演していたノエリア・ノエルに違いありませんでした。

 胸が高鳴りました。

 私は思い切って海岸通りのバーへ彼女を誘いました。浜辺のテーブル。潮風。グラスの中の氷が鳴る音。映画スターと二人きりでコパカバーナ海岸で杯を交わすなど、まるで夢のようでした。

 ブラジルに来てよかった――。

 若い私は本気でそう思っていました。

 ノエリアは、1955年公開の新東宝映画「リオの情熱」に出演したアルゼンチン女優です。藤田進、小暮美千代、大木実、安西卿子といった錚々たる俳優たちと共演していました。

 日本滞在中は「コパカバーナの歌姫」と宣伝され、各地で歌を披露していました。けれど彼女は、アルゼンチン人にとってサンバは様にならないとわきまえていたのでしょう。欧米で流行していたバイヨンやサンバカンソンを歌っていました。

 思えば、あれが日本人がブラジル音楽の実演に触れた最初の機会だったのかもしれません。セルジオ・メンデスより、ずっと前の話です。

 当時の日本では、アルゼンチン人がブラジル人役を演じても誰も不思議に思いませんでした。国籍よりも「南米の情熱的な美女」という雰囲気が大事だった時代だったのでしょう。

 スペイン女の情熱的な身振りと、ポルテーニャ特有のタンゴの哀愁。その両方を併せ持つノエリアは、日本の制作者たちが思い描く〝リオの女〟のイメージにぴたりと重なったのだと思います。

 あの浜辺での出会いは、たった一度きりでした。

 私はサンパウロへ戻り、彼女はメキシコへ招かれていきました。やがて、彼女が日系俳優ノエ村山と結婚したという知らせが届きました。三船敏郎ばりのサムライ的な性格俳優として人気を博していたスターです。

 ノエリアは、あの日、ぽつりとこう言っていました。

「日本が恋しくてたまらないわ」

 その言葉が、ずっと耳の奥に残っています。もしかすると、その想いが彼女を再び日本へと結びつけたのかもしれません。

 アルゼンチン女優が、たまたまリオに住み、日本映画に抜擢され、日本では「コパカバーナの歌姫」と呼ばれ、やがて日系人と結婚する。

 人の運命とは、なんと不思議なものでしょう。

 夫に先立たれてから28年。彼女はメキシコのカンクンで静かに暮らし、そして永眠したといいます。

 老衰――。

 その二文字を見つめながら、私はあのまぶしい海岸の光景を思い出しています。潮風に揺れる黒髪、水面の反射に輝く笑顔。

 私の中のノエリアは、これからもあの27歳のままでしょう。

 リオの海辺で交わした、たった一度の出会い。

 あれは確かに、私の青春の一頁でした。

 ノエリアの冥福を、心から祈ります。


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