入植時の思い出話に花咲かせ=アクレ州キナリー出身者の集い

アクレ州キナリー移住地出身者による集いが9日正午頃、サンパウロ市リベルダーデ区のニッケイパレスホテル地下レストランで開かれ、同移住地出身者や家族ら約20人が一堂に会した。コロナ禍で過去2年は集まれなかった中、この日は同レストラン内の座敷を貸し切り、参加した関係者は入植当時の様子など懐かしい話に花を咲かせ、久しぶりの対面を喜んだ。
キナリー移住地はアクレ州都リオ・ブランコ市の南方24キロ地点にあり、1959年4月に第1次6家族44人が「あめりか丸」で、同年6月に第2次7家族47人が「あふりか丸」で渡伯し、計13家族91人が入植した。
現在、同移住地に入植当時から住んでいるのはわずかに数家族だけで、ほとんどはサンパウロ市周辺地域やロンドニア州ポルト・ベーリョ市、アマゾナス州マナウス市など都会に出て生活している。
集いでは、世話人の坂野政信さん(76、神奈川県出身)が「コロナ禍で皆さんと集まることができませんでしたが、今日はこうして久しぶりに会うことができたことを嬉しく思います」とあいさつ。参加者全員で、この2年間に亡くなったキナリー移民へ黙とうを捧げた。
マナウス市在住で、孫の誕生日に合わせて今月5日から10日間ほどサンパウロ市に滞在していた宮本輝代さん(74歳、石川県出身、旧姓・浜口)は、11歳の時に家族とキナリー移住地に入植。約10年間、同移住地で生活した。「日本を発つ時は寂しかったけれど、キナリーでは学校に行かなくていいのが(子供心として)嬉しかったですね。月夜には缶蹴りしたり、かくれんぼしたり、楽しかったですよ」と当時を振り返った。
宮本さんと同船(あふりか丸)同世代、現在はサンベルナルド・ド・カンポ市に住む大久保啓子さん(74歳、佐賀県出身、旧姓・稲田)は約3年半、移住地に住んでいた。キナリーを出てからは一度も現地に行っていないとしながら、「(宮本)輝代さんとはよく一緒に遊びました。電気がなく、月夜にかくれんぼできるのが楽しみでね」と笑顔を見せた。
一方、大久保さんと同じサンベルナルド・ド・カンポ市に住み、構成家族の一員として16歳で入植。若い働き手として山の伐採や山焼きの経験がある金井秋男さん(79歳、熊本県出身)は、「(入植当時は)遊んでいる暇は無かったよね」と話し、現在は趣味のカメラを持参して各地を旅して回っているという。
サントス市から参加したのは大水久雄さん(73歳、長崎県出身)夫妻と、実弟の大水悟さん(71歳、長崎県出身)だ。
大水家は両親と姉弟の8人家族でキナリーに入ったが、母親が乳がんになったことをきっかけに、4年住んだ移住地を出た。母親はサンパウロ市の病院に入院したが、63年に死去。その後、サンベルナルド・ド・カンポ市の瑞穂植民地で養鶏を1年行い、エンブー、ピエダーデなどを転々とした。69年にサントスに転住し、屋台でのパステル販売が成功し、同地で生計を立てた。
久雄さんは「井戸の水を汲むのが僕ら子供の仕事でね。夜は星が綺麗で、まさに宝石を散りばめた感じでしたね。また、パチンコを使って鳥などを取ったりもしていましたが、弟(悟さん)がある日、一人で森に行った時にジアボ(大蛇)に出くわして睨まれ、真っ青な顔をして帰ってきたことがありました」と移住地の思い出を懐かしんでいた。