《記者コラム》ブラジルの極右に影響を与えたウクライナ

パウロ・ビリンスキー下議の議席上での演説が物議を醸している。同氏は先週、ウクライナ人で第2次世界大戦中にナチス・ドイツ志願兵だった祖父に関し、「ソ連支配下にあったウクライナで、祖国を守るために共産主義と戦った」として称賛。「それを受け継ぎ、私はこの国で共産主義と戦っている」と語った。
この報道を読んでハッとした。2020年頃、ブラジルの極右勢力が最も過激化していた当時、彼らはマニフェスタソン(抗議行動)で「ウクラニザ・ブラジル(ブラジルをウクライナ化せよ)」というスローガンを掲げていたのを思い出したのだ。
このスローガンは当時の極右リーダー格サラ・ウィンター氏を中心に唱えられていた。彼女がウクライナのプラヴィ・セクトール(右派セクター)が行う極右養成トレーニングに参加していたことに由来している。
2014年、ウクライナでは「尊厳の革命」と呼ばれる騒乱が起き、時の親ロシア派ヤヌコーヴィッチ大統領が失脚を余儀なくされた。
この際に極右派が台頭し、その中の一つに、プラヴィ・セクトールがあった。プラヴィ・セクトールは、全世界から極右思想者を集め、トレーニングを行っているようで、20年当時の報道でサラ氏はこれに参加したことを「誇りにしている」と報じられている。
当時のブラジル内での極右派によるデモではプラヴィ・セクトールの旗やロゴが使用され、問題視されていた。
その後、ウクライナ国内でプラヴィ・セクトールが政党として大統領選に挑むも惨敗し、国内での極右勢力の支持は大きくないとされた。
ブラジル内でも、20年5月に武装集団「300・ド・ブラジル」が最高裁に花火を発射し逮捕され、出所後にサラ氏が方向転換したことで、ウクライナのことは忘れられていた。
ブラジルでウクライナのことが思い出されたのは、22年2月のロシアによるウクライナ侵攻だった。
この時、国際的に目の敵にされたのはロシアで、ウクライナには支持が集まった。
しかし、ブラジル左派の間では微妙な空気が流れており、「やはりサラ氏のことでウクライナの印象は悪いのか」と驚いたことを覚えている。
その後に、ウクライナが極右集団の一つであるアゾフ大隊を国の軍隊として雇っているという報道も行われ、同国の政治情勢が伺われた。
ルーラ大統領が現在、親ウクライナに慎重な姿勢を見せていることは国際的にも有名だが、その背景には、こうした理由があるような気がしてならない。(陽)