《記者コラム》知られざるイグアッペ、レジストロ=スポーツクラブ、復活の天谷茶=清和友の会日系社会遺産ツアー(下)

最古の永住型日系移住地であるイグアッペの桂植民地や明治の元勲が理想を注ぎ込もうとしたレジストロ植民地の歴史などの日系歴史遺産を身近に体験するツアー、 清和友の会(中沢宏一会長)の「第七回ブラジル日系社会遺産遺跡巡り」ツアーが6月21(土)~23日(月)に実施された。そのツアー記事の後半を以下紹介する。
レジストロ日系団体の雄スポーツ・クラブ
21日夕方にはレジストロ文化スポーツ協会(ACER)を視察。佐久川マリオ会長から「この町で唯一の本格的スポーツクラブとして市民広くから利用されている」と説明があった。人口5万6千人のうち、会員は2700人(うち日系人10%程度)で、その家族も利用するから人口の1割以上が使っている計算になる。
終戦直後に生まれた野球クラブが前進で、当時は日系団体の活動が許されておらず、野球クラブであれば野球をするのは日系人ばかりだったという事情から、事実上、日系団体として活動できたという便法から始まった。
その後、製茶会社のおかげで10万平米という土地を取得。本格的なスポーツクラブとして拡大する中で、一般市民にも門戸を開くようになった。でも佐久川会長は「今でも運営はあくまで創立からの伝統で日系人が中心」という。
ツアー参加者の高松玖枝(ひさえ、戦後移民)さんは、「役員が変わったら日系団体でなくなってしまうところを、規約を工夫して維持しているところがすごい」と関心していた。同じく久村恵さん(85歳、2世)も「イグアッペに最初の植民地があったことも知らなかった。若い人たちが集まって一生懸命にやっている姿が良いなと思いました。今回のツアーはとても勉強になった」と嬉しそうに述べた。

ブラジル唯一の製茶工場・天谷
その後、岡本寅蔵がセイロンから持ってきた苗が最初に植えられた畑を視察した。現在ブラジルで唯一天谷製茶工場を見学。天谷ヒョウゴさん(70歳、3世)は「うち独自の製法で40分で緑茶を製造できるようになった。日本では4時間ぐらいかかるという。最近ウーロン茶も始めたが、健康志向が高まって、作る先から売れていく。茶葉は自家農園だけだから、原料供給が間に合わない」とのこと。お茶製造に必要な機械は自分たちで独自に作るので、門外不出の秘伝があるようだ。
「祖父は1919年に来伯し、この家を建て、2000年に入ってからもしばらく住んでいた。僕もここで育った」と敷地内にある古い日本式文化住宅を指差した。
岡本寅蔵がセイロンから持ってきたアッサム種の紅茶を現在でも自家農園で栽培し、それから緑茶、紅茶、ウーロン茶などを作り分けているという。玄米茶も好評だとか。

ツアー参加者の鈴木良子さん(76歳、青森県)は「私たちも移住当初はレジストロに入り、お茶摘みをしていたので懐かしい。あの頃はお茶工場がたくさんあったが、今唯一残ったのは天谷茶だけ。コロニアで頑張っている会社は応援したい。毎日飲んでいますよ」と強調した。
一行はパリクエラ・アスーやジャクピランガに建てられった二宮金次郎像も見学した。ブラジル金次郎会の榎原良一さん(清和友の会副会長)によれば、全伯探しても3体しかない金次郎像のうちの2体がこのリベイラ沿岸地域に固まっているのは、地元の齊藤咲男さんが日本移民100周年を記念して2008年に作ったからだ。子供の頃から母親に「二宮金次郎のような立派な人間になれ」と繰り返し言われ、100周年の節目を記念して建立した。残りの一体は、文協の前庭に設置されている神奈川県知事から送られたもの。
榎原さんは移動中のバス内で説明し、「日本移民が農業で活躍できた背景には、農業協同組合を中心に団結してきたという歴史があり、その組合精神には、まさに二宮金次郎の報徳思想が反映されている。日系人が献身的にボランティア活動や日本語・日本文化普及活動をしてきたのは、ベースとしての報徳思想が欠かせない」と解説した。

レジストロ日伯文化協会の福澤一興顧問から「イグアッペ・レジストロ植民地の歴史」という講演を聞いた。「調査によれば戦前入植者の平均年齢は28歳、安定した収入が確保できるようになったのが58歳だった。ある程度生活が安定するまで30年かかったのがレジストロだったんです。安定収入まで随分時間がかかった」とし、その時期が1960年代で、3軒目の家を建て替える時期だったと見ている。

悪魔の洞窟など盛りだくさんの内容のツアー
20日(日)午前には悪魔の洞窟(Caverna do Diabo)も見学した。宮村秀光さん(81歳、2世)は、「1センチ成長するのに20年かかるという鍾乳石が、無数の氷柱となって巨大な空洞を形成している。今回見学したのはほんの200メートル程度だが、実際には9キロも奥行きがあるという。自然の雄大さを感じるすごい鍾乳洞だ。そんな鍾乳洞が付近には何百とあり、まだ観光地として整備されていないとガイドが言っていた。とんでもない観光資源だ」と関心していた。
今回のツアーでは22日夕方にはサンパウロ連邦研究所(IFSP)レジストロ校の肱岡明美教授(2世)の「リベリア渓谷地域の移民建築ついて」、レジストロ日伯文化協会顧問の清水ルーベンス武さん(3世)による「レジストロの製茶産業の歴史」などの講演も行われた。
最終日の23日(月)にはラポーザ地区日伯協会を訪問し、寺島マリオ副会長から同地域の移民史の講演などを聞いた。
充実したツアー内容で、参加者からは「移民史には知らないことがたくさんあることがわかった。本当に勉強になった」という声が口々に漏れていた。
思えば移民100周年の前年2007年、イグアッペ市は連邦議会で「日本移民発祥の地(berço da colonização japonesa)」(https://www.camara.leg.br/noticias/102843-iguape-e-aprovado-como-berco-da-colonizacao-japonesa/)として正式に認められた。昨年来、奥原マリオ純さんはブラジル教育省に働きかけて、当地の教科書に日本移民史を入れるように働きかけている。
そのような有志や各地の日系団体の尽力により、「日本移民史はブラジル近代史の一部」として徐々に浸透しつつある。日本の歴史教科書にも日本人移民史が記述されるようになり、「海外同胞の歴史も日本史の一部」と認識されることを願いたい。それは日本人にとって「内なる国際化」だと思う。(深)