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JICA協力隊員リレーエッセイ=ブラジル各地から日系社会を伝える(10)=ブラジル製日本語教科書から感じたこと=サンパウロ州ツパン市 大塚真理子

2024年3月28日

中央が大塚さん(本人提供)
中央が大塚さん(本人提供)

 はじめまして。私は大塚真理子と申します。2023年3月にサンパウロ州西北西にあるツパン市の日系団体、ツパン文化体育協会(以下、文協)に属するツパン日本語学校に日本語教育隊員として着任しました。2023年度現在、約280の日系世帯を会員とする文協では、運動会、NIPPON FEST(日本祭り)といった日本的な行事を開催しています。
 現在、ツパン日本語学校では、2月から11月まで、7月の冬休み期間をのぞき、幼稚園クラスと日本語クラスの授業が開講され、2024年2月現在21人が学んでいます。活動を始めて半年間、私はその二つのクラスにアシスタントとして参加してきました。
 後半はそれに加え、日本語入門者クラスと中級レベル以上の日系人対象クラスを開設し担当しました。2024年3月からは、現在ツパン日本語学校に通う生徒さんや、かつてツパン日本語学校で学んだ皆さんを対象に、週替わりで習字・硬筆・音楽・図工などに取り組む予定も組んでいます。
 文協主催の行事に目をむけると、7月の運動会では、多くのツパン市民の方たちとともに、たくさんの競技に参加する機会を持ちました。9月のNIPPON FESTでは「日本語で名前を書いてみよう」というワークショップを行い、3日間で100人近い方に参加してもらうことができました。
 さて、ここツパン日本語学校は戦前に開校された古い日本語学校です。活動の一環として学校にある書籍を整理しているとき、1960年から70年代初めまでのサンパウロ日伯文化普及会発行、サンパウロ州教育局承認の『日本語(にっぽんご)』という教科書が出てきました。
 1960年から70年と言えば、初期日本移民がブラジルへ移住してから50年以上が経っているため、『日本語』には、日本語の中にカタカナで書かれたポルトガル語が混じった、いわゆる「コロニア語」があちこちに見られます。また、「私たちの国ブラジル」としてブラジルの国旗や国歌のことが説明されるなど、日本人としてのアイデンティティを保ちながらも、ブラジルでの生活にだいぶ根付いた内容にもなっています。

学校に保管されていた書物(本人提供)
学校に保管されていた書物(本人提供)

 一方、教室のそうじを題材にした読み物では日本の学校と変わりない様子が書かれています。そして、日本語でよく使われる「わんわん」「ざあざあ」といった擬音語や、日本語の助詞である「て・に・を・は」の使い方などを学ぶ題材もあります。それらを読むと日本語を使いこなすブラジル日系人の姿が頭に浮かんできます。
 また、高学年の『日本語』には、ところどころに当時の生徒が残したポルトガル語の書きこみが見られます。活動世界が広がり、ポルトガル語が自分の使う第一言語になっていったのでしょうか。
 『日本語』だけではなく、古い本棚からはこれまでこの地で使われてきたさまざまな時代の教科書が出てきました。これからもこの地で学んだ日系人子弟の方たちの声を感じつつ、頑張っていこうと思います。


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