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ふるさと巡り=北東伯の日系社会を訪ねて=理想の地に辿り着いた山本さん(3)

2024年4月10日

山本守さんと巨大魚を持つバイアーノ
山本守さんと巨大魚を持つバイアーノ

 シュポン!ーー勢いよくコルクが飛び、笑い声と共に発せられた「サウージ!」との威勢の良い乾杯の音頭が、バイーア州カーザ・ノーヴァ市のワイン工場ミオロに響いた。工場見学に訪れたふるさと巡り一行が、見学の締めくくりに用意された同地産ワインの試飲を楽しんでいる。このワイン工場は故山本守さん(2世)所縁の施設だ。
 山本さんは1925年に渡伯した両親の下、33年4月にサンパウロ州ビリグイ市で生まれた。一家は養蚕業を営み、景気にも恵まれたことから順調な生活を送っていた。しかし、第2次世界大戦を機に事業縮小を余儀なくされ、戦後には何もない畑だけが残るのみとなった。
 一家はパラナ州でコーヒー栽培が隆盛期にあると知ると、同地に移り、コーヒー農園を始めた。13歳の山本さんもコーヒーの収穫を手伝った。コーヒー事業は成功し、パラナ州サンタナ・ド・イタラレ市に敷地面積3000ヘクタールのジャルジン・エスペランサ農園を所有するに至った。
 63年、30歳になった山本さんは、更なる知識を身に着ける為、米国カリフォルニアを訪ね、暑い気候、未整備の土地で行うのに適した灌漑技術を学んだ。その後、イスラエルに赴き、同地の伝統的農業共同体キブツから農業技術などを学んだ。これらの技術は気候や土地条件の似たブラジル北東部で活かせると思うようになり、ブラジル北東部での農業に憧れを持つようになった。

ワインの試飲を楽しむ一向
ワインの試飲を楽しむ一向

 ブラジルに戻った山本さんはパラナ州でジャガイモ栽培を開始し、成功を収めると、ペルナンブコ州サンタマリア・ダ・ボア・ヴィスタへ出向いた。視察の結果、ブラジル北東部に自分の求める理想の土地があることを確信し、1973年、サンフランシスコ河流域に移住し、何もないへき地の中で、果物栽培を始めた。
 78年にはワイン用ぶどうの試験栽培を開始し、83年にワイン「ファゼンダ・オウロ・ヴェルデ」の生産をはじめた。山本さんのワインはやがて高品質ワインとして人気を博するようになった。
 山本さんは2016年6月2日、82歳で亡くなった。山本さんは地域の人々からも慕われ、訃報は地元メディアでも扱われたという。
 山本さんの始めたワイン事業はその後、ヴィニクロ・ミオログループに買収され、現在は約1000ヘクタールの畑で年間平均1千万リットルを生産している。
 1970年以降にサンランシスコ河付近に移住した日系人には、山本さんのように他地域を経てたどり着いた人が多いという。山本さんは亡くなる直前までブラックベリーの葉を使った茶葉の生産事業に携わっていたという。理想に向かって無我夢中で前進する山本さんの姿に心が揺さぶられた。


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