ふるさと巡り=北東伯の日系社会を訪ねて(10)=「時が経てば笑い話になるのよね」

佐々木ぶどう農園を後にした一行は、バイア州クラサのクラサ日本人会会館に到着。同会婦人部メンバーの10人が出迎えてくれた。
クラサ日本人会は1984年に創設された。会の役職に会長職は設けず、決済事項は会員が都度集まって、皆で決めることにしているという。会員数は現在、約28家族が参加している。
交流食事会冒頭では、婦人部員同士が互いを紹介するなど、部員同士の仲の良さが感じられた。婦人部員らは、聖市リベルダーデ区などに旅行に行くなどして親交を深めているという。
婦人部を積極的に引っ張る宇津巻八恵美さん(うづまき・やえみ、69歳・2世)は、31歳の時に、聖州リンス市から家族と共にコチア組合クラサ・プロジェクトで移住してきた。
八恵美さんは1980年代の入植当時のことを振り返り、「特に食べ物には苦労しました。葉野菜とお肉が口に合わなくて、リンスに里帰りしたときは、お肉とサラダばっかり食べていたわ」と語る。未開拓の地での生活は、一種の過去へのタイムスリップだ。80年代であっても、日系人が食べ物が合わずに苦労するのかと思わず驚いた。
また、最初に住んだ家は田舎の川縁で、町へのアクセスが厳しかったという。子どもたちを学校に通わせるため、八恵美さんは子供とともに町で暮らし、夫は田舎で暮らす生活が約3年続いた。
クラサには八恵美さん一家の様な家庭が他にもあり、それを見かねたクラサ日本人会がバスを購入し、子供たちを家から町まで送り届ける活動を開始した。以降、八恵美さん一家は離れ離れの生活に終止符を打ち、家族一緒の暮らしが出来るようになったという。
「苦労した分、時が経てば笑い話になるのよね。この30年間で大分、町の様子も変わったわ。移住したころは、息子が1歳にもなっていないぐらいで、現地のブラジル人の子どもは、息子を珍しがって『Chines』って騒ぎながら追いかけまわしていたわ」と笑いながら話した。
会館は感心するほどのきれいさが保たれている。八恵美さんは「なんとか昨日までにペンキを塗り終えて、皆さんを迎えられました」とほほ笑んだ。
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交流食事会では、素麵や自家製納豆が振舞われた。一行は「暑い地域にぴったり!」「納豆がたまらなく美味しい。作った人にぜひ会わせて!」と婦人部のおもてなしに感動した様子だった。
すっかり仲良しになった一行だったが、気付けば閉会の時刻に。名残惜しさを込めた別れの抱擁を交わし、一行は最後の観光プログラム、夕日のサンフランシスコ川遊覧へと向かった。(続く、島田莉奈記者)