ふるさと巡り=北東伯の日系社会を訪ねて(4)=全てを笑いに変えて

ふるさと巡りの参加者は皆、個性に溢れている。参加者の平尾ヒロコさん(岩手出身)は人を笑わせるのが上手な人だった。女子トイレの待ち時間などちょっとした時には「メトロに乗っていたとき、『Coma bala』(飴をなめろ)って言われながら銃を向けられたことがあるんだけど、咄嗟に『食べたくない!』って騒ぎ立てちゃったの。周囲の人はぜんぜん助けてくれないで笑ってたの」と話し、周囲を明るく笑わせた。ポルトガル語が苦手だというヒロコさんは、強盗が「Toma bala」(弾を撃つぞ)と言ったのを勘違いしたのだろう。
これまで強盗には何度もあったという。「前のときは、一度お金を渡した後に、でもこれじゃ家に帰れないと思って、強盗にやっぱり返してってお願いしたんだけど、返してくれなかったのよね」とこれまた茶目っ気を混ぜて陽気に語る。ヒロコさんほど強盗被害体験を上手に笑い話にしてしまえる人はいないだろうなと思った。
ヒロコさんの両親は教師で、ヒロコさんは台湾で生まれ育った。台湾での生活は女中が3人いる裕福なものだったという。ヒロコさんが3歳の時、船で日本へ引き上げることになったが、その途上で船が沈没する事故に巻き込まれた。両親は水泳が得意で、ヒロコさんは母におんぶされながら、4時間浮いて助けられたという。
そんな壮絶な体験も「船が沈没して溺れたことよりも助かっておにぎりを頬張ったことの方を覚えてる」とまた笑い話に変えてしまった。
その後、岩手県で育ったヒロコさんは外国で暮らしたいと思うようになり、岩手大学の「南米に生きる会」に参加した。ブラジルに渡ることを決めると、看護学校に通って看護技術を身に着け、コチア青年が花嫁探しをする藤井ホームにも通った。藤井ホームでは後に夫となるタケシさんと出会った。
着々とブラジル移住の準備を進めるヒロコさんだったが、厳格な両親はヒロコさんのブラジル移住に大反対。「親子の縁を切るぞ」とまで言われたが、それでも意志を曲げず、タケシさんと共にブラジルへ渡った。
ブラジル移住後も苦労は尽きなかった。タケシさんはその人の良さが災いして友人に約1000万円を騙し盗られて、一文無しに。箸も無い生活で、箸の代わりに木の枝を使ったらタケシさんがアレルギー反応を起こして大喧嘩に。
苦労や心配を笑顔に変える力を持っているヒロコさんだが、語られない苦労も相当してきたに違いない。ヒロコさんは、会話の合間に、皆の幸せを願って自作しているという四葉のクローバーの押し花をプレゼントしてくれた。微笑ましいその姿を見ていると、今日も1日元気に笑い飛ばして生きていこうという気持ちになった。(続く、島田莉奈記者)