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【佳子様・日伯130周年・移民117周年】梨園の妻になった日系3世=歌舞伎の世界を日伯両語で発信=第1回=〝おじいちゃん〟は画家マナブ・マベ 青木夕実

2025年6月4日

夫・大谷廣松の舞台写真
夫・大谷廣松の舞台写真

 日本の中でも最も伝統的な世界の一つ、歌舞伎の梨園。そこに日系3世が嫁ぎ、いずれ将来、日系4世の歌舞伎役者が登場する可能性がある。二代目大谷廣松夫人・青木夕実さんだ。歌舞伎俳優名鑑サイト(https://meikandb.kabuki.ne.jp/actor/255/)によれば、大谷廣松(2代目、31歳)のプロフィール欄には「優しい顔立ちで、女方を軸に活躍する花形。近年、市川團十郎との共演が増え、立役を含め役の幅を広げている」とある。そんな歌舞伎俳優の妻・青木夕実さんが夫のブラジル公演を視野に入れて、当地読者に向けて歌舞伎解説コラムを毎月、日本語とポルトガル語で書いてくれることになった。(編集部)

 歌舞伎って、ご存知でしょうか。
 白いおしろいを塗った顔に、赤や黒の線を入れて、ずしりと重たそうな着物を着て、見得を切る(決めポーズをする)。そんなイメージをおもちでしょうか。
 今、NHKの大河ドラマ『べらぼう』では江戸のメディア王と呼ばれた蔦屋重三郎が主人公で、浮世絵師たちの姿が描かれています。ご覧になっていらっしゃいますか? その中で、歌舞伎役者の二代目市川門之助という人物が登場しました。この市川門之助という名の役者は、実は現代でも活躍されています。今の市川門之助さんは、八代目、260年の時を越えて今もなお、同じ名を背負って舞台に立っているのです。
 歌舞伎というのは、歌(うた)に舞(まい)に伎(ぎ/ひと)と書いて「かぶき」と読みます。音楽、踊り、そして演技三つを掛け合わせた総合芸術です。江戸時代から400年続く日本の文化の象徴、そして国家的な財産です。2008年にはユネスコの無形文化遺産に登録されています。
 かぶきの語源は、「傾(かぶ)く」──常識を少しはずした、風変わりな生き方をすること。ですから、歌舞伎の始まりは、派手で粋で、ちょっといかがわしいところもあった。それがいつしか、格式をもった伝統芸能になっていったのです。

男伊達花廓(おとこだてはなのよしわら)新造梅ヶ枝役
男伊達花廓(おとこだてはなのよしわら)新造梅ヶ枝役

 役者になるには、オーディションなんてありません。血筋と名前、これが何よりも重要。たとえば市川門之助という名は「名跡(みょうせき)」と呼ばれ、「名跡」という芸名を代々引き継ぎ(襲名/しゅうめい)、その名にまつわる芸も格式も、丸ごと受け継ぐ。だから歌舞伎役者は、ただの芸能人ではなく、「文化の担い手」として見られ人間国宝になる役者もとても多いです。
 先月、2025年5月より東京の歌舞伎座では、「尾上菊五郎」という大きな名跡の襲名公演が始まり、連日お祭りのような賑わいです。お父様の七代目菊五郎さんは、なんと以前、ブラジルで公演を行ったこともあるそうです。ご覧になった方、いらっしゃいますか?
 さて、そんな歌舞伎役者たちと切っても切り離せない存在。それが歌舞伎役者の妻「梨園の妻」です。
 世間から「梨園の妻」は、こんなイメージをもたれているようです。
 夫のスケジュールを把握し、ロビーでは毎日ご贔屓筋へのご挨拶を欠かさず、お中元やお歳暮の手配も滞りなく。衣裳の虫干しをしながら、今日の舞台の出来をそっと想像する。関係者との関係を円滑に保ちつつ、年賀状やお礼状は毛筆で手書きで丁寧に。

青木夕実さん(カメラマンTADEAI)
青木夕実さん(カメラマンTADEAI)

 さらに「後継ぎとなる男の子を産む」という、なかなか重たい期待も。
 派手すぎてもダメ、地味すぎてもいけない。美しく、控えめに、けれど華があるように。伝統文化に精通していて、着付けができるのは当たり前、着物のセンスも抜群で、お茶やお花もたしなみ、できれば英語も話せたら申し分ない、と。
…まるでひとつの職業のようです。
 とはいえ、案外、当たっている部分も多いです。
 私は、その梨園の妻として、夫と共に歌舞伎の世界にいます。
 ただ、少しだけ変わった立場でもあります。
 私は日系ブラジル人3世。祖父母は幼い頃にブラジルへ渡り、日本人同士で結婚。母はブラジルで生まれ育ち、大学卒業後万博の通訳として日本に来て、父と出会い結婚しました。私は日本で生まれ育ちましたが、小さい頃から頻繁にブラジルに行っていました。
 母の影響も強く、「私は日本人です」と言うのが、どこかしっくり来ません。かといってブラジルに行けば、「私はブラジル人です」と言うのも、全然違う。

よしの夫人とマベ画伯に挟まれて嬉しそうな幼少期の夕実さん
よしの夫人とマベ画伯に挟まれて嬉しそうな幼少期の夕実さん

 そんな私が、ひょんな縁から日本の伝統芸能のど真ん中に嫁ぎました。小さな頃から、ブラジルのリズムで育てられてきた私にとっては、まったく未知の世界。でも、だからこそ、見えるもの、伝えられることがあるのではないかと思っています。
 私の母の伯父は、画家のマナブ・マベです。ご存じの方も多いと思いますが〝ブラジルのピカソ〟と呼ばれた人です。私は彼のことを〝東京のおじいちゃん〟と呼んでいて、祖父母のようにとても近い存在でした。

マベ画伯の個展に来場された美智子妃殿下からお言葉をかけられた夕実さん
マベ画伯の個展に来場された美智子妃殿下からお言葉をかけられた夕実さん

 ブラジルを代表する日系人画家として日本とブラジルの架け橋となり、世界で活躍していました。昔、付いていった個展では皇后・美智子さま(当時)に作品をご紹介していた姿を今でも覚えています。きっとその頃から、「自分もいつか、日本とブラジルをつなぐようなことができたら」と、どこかで思っていたのだと思います。
 2023年11月に息子が生まれました。
 元気に大きく育ってくれたら数年後に彼は、日本初の日系ブラジル人歌舞伎役者になります。近い将来、夫と、息子が、ブラジルの舞台で歌舞伎を披露できたなら。それが今の私の夢です。
 日本でも、どこか敷居が高いと感じられがちな歌舞伎。それを私を通じて、もっと身近に感じてもらえたら嬉しく思います。特にブラジルの皆さんには、この不思議で美しい日本の芸能が、「どこか自分のもの」のように感じられるように──。
 今月から、歌舞伎にまつわるコラムを、こうして連載させていただくことになりました。
 このような素晴らしい機会をくださった『ブラジル日報』の皆さまに、心より感謝申し上げます。

【大谷廣松(二代目、31歳)】
八代目大谷友右衛門の次男、祖父は人間国宝四世中村雀右衛門(大谷友右衛門名義では映画スター)。
98 年5月歌舞伎座で青木孝憲の名で初お目見得。
2003 年1月歌舞伎座『助六』禿(かむろ)において二代目大谷廣松を襲名し初舞台。
近年は十三代目市川團十郎と一座を共にし、女方を軸に様々な役を幅広く勉強中。

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