ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(365)
(報酬額はドルで表現されたが、支払いは国内通貨でされていた)
筆者は、この噂を耳にしたとき(何かの間違いだろう)と気にとめないでいた。
筆者の記憶にある理事の報酬は、かなり以前のものであったが、遥かに低い額であり、それでも、コロニア一般の水準からすれば、高過ぎるという観方もあった。
しかもコチアの経営状態は、既述した通りであり、そうである以上、理事報酬が「引き下げられる」ことはあっても「引き上げられる」ことなど、あり得なかった…からである。
しかし、その噂が事実に近いことが判った。頭の中が微かながらキーンと音をたてて、機能が停止してしまったものである。
理事の報酬は一九九〇年四月以降…ということは、先の役員改選の後、毎年引き上げられ、九三年に至り、右の様な数字になっていた。
この事実に最初に気づいたのは、一部の組合員であった。部落の代表たちが、組合本部での会議に出席すると、支払われる日当が──以前に比較すると──イヤに多い。(部落とは、既述したことであるが、地域単位の組合員組織)
その日当を、土産代わりに家へ持って帰ると、カミさんたちがビックリして、大はしゃぎする。それで、始めは喜んでいたものの、その内(自分たちが、これだけ貰うということは、理事の報酬は一体、どの位になっているのか?)と、疑問が浮かび始めた。
日当の額は、理事の報酬を基準にして算出されていたのである。
調べてみると、そういう一万とか一万五、〇〇〇とかいう報酬が実際に支払われていた。
理事以外の役員、つまり運営審議役や監事も、理事報酬を基準として決められた額を、受け取っていた。
しかも、半額は税務上の登録をしない方法=脱税=で渡されていた。
理事の中には「どうも多過ぎる」と一部を返上する者が出始めていた…ともいうが、ともかく、コチアの実情からすれば、法外な額であった。
それと、九〇年以来、毎年引き上げていたということには、重大な非倫理性があった。この間、何が起こっていたか…。
組合は、死線を彷徨っていた。
理事会は、罪もない従業員を大量に馘首中だった。
組合員には、その資産を…農機具まで売らせたり、引き渡させたりしていた。
従業員や組合員の中からは、日本へ出稼ぎに行く者が大量に出、無数の悲劇が発生中であった。家庭崩壊、離婚、病気、死…。
そうした中で、こういうことをしていた理事たちは、通俗的な小説やテレビ・ドラマの悪役の様な真似をしていたことになる。
ところが…である。この報酬額を決めたのは、理事ではなく、組合員代表からなる査定委員会だというのだから、話が、ややこしくなる。要するに組合員の代表が、それを決めた──というのである。
この点、査定時、委員を務めた一組合員は、
「あの時は、役員改選で、平理事は局長だった人が就任した。すると、職員時代より報酬が少なくなってしまった。しかも、理事は次の選挙で落ちれば、職を失う。彼らはそれを不満とした。そこで引き上げた」
と釈明する。
また、別の元委員は、
「(査定委員会には)給与問題を担当している職員が出てきて、新しい報酬案を出し、専門的な資料や言葉を使って、パッパッパと議事を進めてしまった。我々百姓が敵う筈がない」
と、ぼやき、もう一人は、
「我々は、その職員の話の内容が、実は、よく判らなかった」
と正直なところを告白する。
彼らは、実は、組合の財務についても、詳細を知らされていず、深刻度を認識していなかったのである。
この報酬引上げ案を実際に作ったのは一部の理事、幹部・中堅職員である。
しかも幹部・中堅職員の給料は、理事の報酬にスライドさせる仕組みになっていた。
要するに査定委員は、彼らに手玉にとられたのだ。
筆者は、その手玉にとった一人(二世)に、
「何故、そんなことをしたのか?」
と、訊ねてみたことがある。返事は、こうであった。
「それまでの理事報酬が、同規模企業の水準に比較、低過ぎた。我々はプロである。…である以上、同規模企業並の報酬を要求したのは、当たり前ではないか」(つづく)









