ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(361)
それを知る人は、こう語る。
「組合側の取立ては、物凄かった。本部に債務者を一人ずつ呼び出し、担当理事と弁護士がギャンギャンやった。やられたある組合員は
『犬扱いされた。もし、あの時、自分がピストルを持っていたら、殺していたろう』と怒り狂っていた」
コチアには、役員経験者を定期的に招いて開く懇親会があった。
一九九一年九月、その懇親会が開かれ、席上、組合側は危機の実情を、ある程度明らかにした。それに対して、出席者の中から、
「組合員に実情を話し、協力を求めるべきだ」
という意見も出た。が、これを後で運営審議会で検討したところ、
「そんなことをしたら、皆、組合から離れてしまう」
と、反対する声が大半を占めた。
懇親会では、
「役員は手弁当で…しかる後、増資などの具体的方策を組合員に諮る」
という案も出た。が、黙殺された。そんな殊勝な役員はいなかったのである。
その頃、理事会は、八十二カ所の事業所を五十カ所に統合する合理化策も進めていた。が、組合が抱える債務に比較すれば、経済効果は極めて小さかった。
九一年末、組合の債務は四億二、〇〇〇万㌦、内ホット・マネーは二億五、〇〇〇万㌦となっていた。
アサイ紡績工場関係の債務は一億九、〇〇〇万余に膨張していた。
組合員に対する債権は三億、内焦げつきは一億七、〇〇〇万以上と見積もられていた。
その三分の二が提訴者の分であった。
非常手段の効果は、債務中のホット・マネーの膨張を、鈍らせた程度しか出ていなかった。
東京へ
一九九一年末、コチアは、これまでとは全く違う手を打とうとしていた。
十二月、片山和郎会長と前園敏之審議役(戦後一世)が訪日、日本で活路を開こうとしたのである。
この時、片山は四男のミサを済ましたばかりだった。強盗に襲われ銃で撃たれ、命を落としたのだ。
東京に着いた二人は、日本の農業界の中心機関である全中・全農を訪れた。コチアは古くからこの両機関と関係が深かった。
二人が持ち込んだのは、いわゆる輸出前受け商談で「コチアが大豆などの生産物を輸出するから、代金を前払いして欲しい」という内容であった。
纏まった量の輸出をし、それで組合の資金繰りをしようというのである。
日本側は、全農が農林中金から融資を受けて払うとか、傘下の㈱組合貿易を通じて輸入するとか、色々研究してくれた。が、最終的には「難しい」ということになった。
活路は、別に探す必要があった。その時思いついたのが、外相に在職中の渡辺美智雄を訪問、相談してみることだった。
渡辺は、以前、ブラジルを訪れたとき、ゼルヴァジオと知り合い、その後、ゼルヴァジオも訪日の折に面会、昵懇の間柄となっていた。
二人は外相の秘書官に連絡をとったが、双方の日程の調整がつかない。そこで、サンパウロのゼルヴァジオに電話を入れて相談してみた。その時、ゼルヴァジオが思い出したのが、彼と親しい石井久順(十八章で登場)が、東京へ出張していることである。
石井は仕事(旅行社営業)の関係で、サンパウロと東京の間を常時往復しており、日本の政界でのロビー活動にも慣れていた。
ゼルヴァジオは石井に二人を助けるよう伝えた。
ここで息抜きに余談を挟むが、一九七九年に始まったコチア青年二世訪日研修団の定期的な皇室訪問は、この人の奔走で実現した。その実現は奇跡的といってもよかった。普通なら叶うことではない。
どういう手を使ったのか訊いてみた処、日本ボーイ・スカウト連盟の元総長=故三島通陽=の純子夫人が宮内庁と関係が深く、話をつないでくれたという。(つづく)









