ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(360)
前にも記したことだが、橘と吉田は戦前一世、伝田と倉持は二世である。
戦後一世の花田好二専務は、グループ会社の南米リースの社長に移されることになっていた。前専務の坂口孟と同じである。
前章で僅かに触れたが、戦後一世はやはり専務止まり…という方針が決まっていた事が、これでハッキリした。
南米リースの社長坂口は、任期途中で、その職を解かれることになった。理由は一応、定年制(六十五歳)によるということであった。が、当人は任期満了までの継続希望を、新会長になる吉田に申し入れていた。
南米リースは、順調な業績を上げていた。が、吉田は、これを拒否した。吉田は昔から坂口を嫌っていた。そのため…という印象が強かった。
退任後の坂口には、例えば南銀の経営審議会のメンバー…といった類いのポストも与えられなかった。単なる相談役にされていた。
後の話になるが、吉田は花田には、定年制に関して融通を利かせた。これで坂口が怒った。この一件を機に坂口の、それまで内に籠っていた感情が表面化する。筆者は、あるとき当人の口から、こういう言葉を聞いた。
「揚助を叩き斬ってやる! 自分の身はどうなってもかまわない。犯罪者になっても…」
冗談ではなく、真面目な表情であった。坂口は終戦時、陸軍航空士官学校の生徒で、ブラジルに来る時は、家宝の日本刀を持参してきた、という。それで斬る…と。
筆者が、
「本人は、今、病気で手術中ということではないですか。すでに切られていますヨ、メスで…」
と宥めると、強張った表情をほぐし、「ハッハッハ……」
と笑っていた。
その時は、思いとどまったようだが、数年後、南銀の落城が決まると、こう呟いていた。
「あの時、揚助を叩き斬っておけば、銀行の最期が、こういう無様な姿には、ならなかったのだが…」
非常手段、二件
一九九一年、農業界は、依然、先行きに明るい兆しを見ることができずにいた。それどころか、この年はサンパウロで起きたコレラ騒動が重なった。
コレラ発生のニュースに、市の保健局や新聞・テレビが騒ぎ過ぎ、生鮮品の市況は「気の毒なほど安い」と同情された。
奥地型生産物のコスト割れも、そのままであった。
一方で金利が依然狂騰中だった。
その中でコチアは、非常手段を二件打ち出した。
一件はホット・マネーの借入れ中止である。その金利は、実質、年間一〇〇㌫に近い状態が続いていた。
もう一件は、莫大な額になっている組合員に対する焦げつき債権の強制回収である。
「土地、車、農機…売れるものはすべて売り、組合に対する債務を清算しなさい。あるいは、その資産を組合に引き渡しなさい。そうすることで債務を消し、金利地獄から脱しなさい、楽になりなさい」
と、債務者に要求した。
その回収分で組合のホット・マネーの負債を減らそうとしていたのである。
この非常手段を、役員たちが地方を回って組合員に説明した。が、激しい抵抗にあった。涙を流したり、首を吊ってやると叫んだりする者もいた。
債務者の中の大口はバタタ生産者であった。数年続く大不況の中で、その多くが事実上の破産をしていた。
彼らは、当初は組合側の要求に抵抗したが、一世が多かったため、最後は諦めて応じた。その数が──小規模な者は除いて──一〇〇人を越した。
一〇〇人というと、一万の線を上下していた組合員数に比較すると少ない気もする。が、前章でも記したように、これは表面的な数字で、戦力になっていた組合員は二、〇〇〇人ていど…もっと少なく見る人もいた。
その中で、バタタは、必要な生産資材が高額なため、本格的かつ継続的に植えていた数は、昔はともかくこの頃は多くなかった。内一〇〇人は大半を占めた。
彼らは、この時、数十年かけて築き上げた資産を、あらかた失った。といっても、すでに破産状態に在ったため、たいしたものは残っていなかったが…。
バタタ生産者と並ぶ大口債務者は、大豆などの穀物生産者であった。こちらは前章で触れたことだが、比較的若い二世が多く、組合側の清算要求を「内部利子の違法性」を理由に、法廷に持ち込んでいた。
その提訴者は、九〇年三月には、八〇人に達していた。それが、九一年の、この組合側の強制回収を機に、さらに増えた。逆襲である。これには、組合側の取立て姿勢も影響していた。(つづく)









