ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(363)
「自分は、コチアは半ば以上、もう駄目だと思っていた。ところが、昼時間に上の(役員、幹部・中堅職員用)食堂に上がって行くと、皆、ゴルフの話ばかりしている。
役員会で、財務状態を全組合員に打ち明けろ、と提言したこともあるが、実現しなかった。
そういうことで一期だけで辞めた。自分の人生で一番キツイ時期だった」
話が逸れてしまったが、総領事館へ申請書を提出した後、両組合の代表者たちが訪日した。外務省で交渉を詰めるためである。顔触れは、前回の二人とコチアの相談役ゼルヴァジオ、スールの理事長富森敏雄であった。
外務省に着き、大臣室に通されると、渡辺は親しげにゼルヴァジオを迎え、隣の席に招いた。この時、ゼルヴァジオ、開口一番、こう切り出した。
「今回は、金を借りに来たンだけれど、いっそのこと貸すなどということでなく、くれませんか、私に。コロニアのために…」
これには外相、立ち会った外務省のお役人、ブラジルからのメンバー、皆、ビックリした。外相が、
「荒っぽいことを言うナァー、井上さんは…」
と、破顔一笑、つられて一同ドッと笑った。
これで、座の緊張がほぐれ、和やかな雰囲気の内に話は進んだ。皆、ゼルヴァジオの言葉を当意即妙の冗談…と受け止めたのである。
ところが、本人は冗談のつもりではなかったらしい。数年後、筆者にこう語っている。
「渡辺さんが…だ、タダでやるのは無理だ、と。で、ワシは、こう言ったンだ。ペルーの藤森にはやったンじゃないか、と。そうしたら渡辺さん、向こうは大統領だ、と。そうかナァー、重みではこちらの方が…と思ったンだが…」
この会見後、両組合の代表者と外務省側とが、具体的な方法の検討に入った。
外務省は、当初GGベース(日本政府がブラジル政府に融資し、それをブラジル政府が両組合に再融資する方法)を提案した。
が、コチアもスールも、これは最も避けたい方法であった。そのようなことをすると、送られてくるその金が途中で消えてしまう(何処かで、長期流用される)のは必至であった。それはプロデセールでの経験から判っていた。
両組合は、直接融資を強く望んだ。ところが、こちらは日本側としては法規上、不可能なことであった。別の方法を探さねばならなかった。
両者の間で、種々研究が続けられたが、最終的に、この案件に耳を傾けてくれたのが海外経済協力基金で、
「ともかくプロジェクトを作ってみなさい」
ということになった。(海外経済協力基金=発展途上国の開発事業に資金協力をしていた政府系金融機関)
コチア、スールの一行は帰伯、以後二回、両組合から担当者が訪日、プロジェクトの内容が練られた。
資金繰りの裏面
ところでコチアの、この頃の資金繰りは、どうなっていたのだろうか?
無論、銀行融資で自転車操業をしていたのだが、よく、銀行が貸し続けたものである。
対銀行債務は、一九九二年末には六億三、〇〇〇万㌦、内ホット・マネーが三億一、〇〇〇万ほどになっていた。
同期の貸借対照表を観ると、流動資産は六億四、〇〇〇万で、同負債は七億六、〇〇〇万、一億以上のバランスの崩れが生じている。
しかも、流動資産の中の、対組合員債権は四億五、〇〇〇万に膨張しており、内三億以上が焦げ付きと見做されていた。無論、その事実は隠されていたが…。
この焦げ付きを流動資産から引くと、バランスの崩れは四億以上になる。
しかも、組合員の対組合提訴は二〇〇人を越し、三〇〇人に向けて増加中であった。
逆に、組合が債権回収のため、組合員を提訴するケースも出ていた。
財務の破綻は、決定的であった。
こういう事態になっていることを、債権銀行側は気づかず、あるいは少しくらい気づいていても、付き合っていたことになる。通常では考えられぬ現象である。
その付き合っていた代表行がバネスパ=サンパウロ州立銀行=であった。
バネスパからの融資について、当時、コチアの専務だった高野実が、後に筆者に、こう話している。
「コチアはバネスパから、一九九一年に七、五〇〇万㌦相当の金を国内通貨で借りた。知っての通り、当時は大変な高金利で、一年後には一億三、五〇〇万になっていた。それを繰り延べて貰った。
このバネスパの融資の原資は、
『国内金利は高いから、米国から持ってくる』
と…」
しかしバネスパは、どうして、そんな額の融資をしたのであろうか。
これについては、一つの疑惑が存在した。バネスパの上部で権力を握っていたある政治家の政治資金づくりに、利用されたのではないか…というのである。(つづく)









