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アマゾン女性移民との出会い旅=トメアスー編(終)=夫の死を乗り越え104歳 高橋はるさん

2026年4月7日

娘のジュリアさんとハルさん
ハルさんと娘のジュリアさん

 「忙しい人生よね!」。ベレンに暮らす高橋はるさん(104歳)は、一点の曇りもない笑顔でそう振り返る。1930年、山形から家族とともにトメアスーの地を踏んだのは9歳の時。それから1世紀近く、その歩みはブラジルの大地に深く刻まれてきた。

 入植当初、一家を待ち受けていたのは過酷な現実だった。慣れぬ農業は思うようにいかず、追い打ちをかけるようにマラリアの病魔が襲う。困窮を極めた一家は、再起を懸けてサンパウロ行きを決意。それからの5年間は、ただひたすらに働き、転居資金を蓄えた。

 ようやく目どが立つと、愛着のある家財道具すら置き去りにし、祈るような思いで新天地へと逃げ延びた。移ったサンパウロでは、父が綿を、母が野菜を育て、泥にまみれて家計を支えた。

 そんな苦闘の日々の中で、はるさんはトメアスー時代から縁のあったシンサクさんと再会し、夫婦の契りを結ぶ。4人の子宝に恵まれ、幸せのさなか、一家はシンサクさんの強い希望で再びトメアスーの土を耕す道を選んだ。だが、当時のトメアスーには十分な教育環境がなく、幼い子供たちのうち2人をサンパウロに残さざるを得なかった。「身を切られるような思いだった」という別れを胸に、再び北部の地へ戻った。

 ちょうどその頃、JAMIC(移植民有限持分会社)による第2トメアスーの造成が始まっていた。一家はその大きなうねりに乗り、希望を託して胡椒の苗を植えた。しかし、またしても試練がはるさんを襲う。不慮の事故で、最愛の夫・シンサクさんを亡くしたのだ。

 深い喪失感の中、はるさんは立ち止まることはなかった。女手一つで広大な農園を引き継ぐ覚悟を決めた。当時を共にした娘のジュリアさんは「残された私たちは、ただやるしかないという一心でした。JAMICの精神的な支えがどれほど有り難かったか」と、母の背中を見つめてきた日々を述懐する。

 1970年代後半には、自然の生態系を模したアグロフォレストリー方式を取り入れ、カカオ栽培に挑戦した。その情熱が実を結び、収穫されたカカオは国内屈指のチョコレートブランド「カカオショー」に採用されるまでになった。

 現在は長男のジョルジさんが母の築いた農園を守っている。「子育ても農業も、たった一人で背負うのは本当に険しい道のりだった。でもね、今はとっても幸せなのよ」。荒波を越えてきたはるさんの言葉には、大地とともに生きてきた誇りと、家族への深い慈しみが宿っていた。(終わり、島田莉奈記者)


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