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《記者コラム》日本の中古着物に新しい命吹き込む=ブラジルで再解釈された日本の伝統=リンス着物ショーで130人が花道

2025年8月5日

着物ショーの全体の様子
着物ショーの全体の様子

日本伝統文化をブラジル的感性で再解釈

 「日本の伝統的着物文化をブラジル風にモダンな再解釈をする前衛的な試み」―リンス慈善文化体育協会(ABCEL、増田政光会長)は2日午後19時半から22時まで、同会館で『第4回着物ファッションショー』を開催した。コラム子は取材しながらカーニバルのディスフィーレに似た熱気を感じ、「日本では余り着られなくなっている着物に、南米で新しい命が吹き込まれつつある」という感慨を抱いた。

 普通に「着物を着て花道を行進する」モデルも半分ぐらいいる。だが、それに加えて、何らかの物語性を込めたり、着物からインスピレーションを受けた感覚を膨らまして、踊りや振り付けで演劇的な表現を付け加えたり、かなりクリエイティブ(創造性豊か)なアトラクションになっていた。観客はブラジル人的に解釈された日本文化を感じ、見応えのあるショーとして鑑賞していた。

 例えば「女児用から独身女性、結婚した女性までの着物の変遷をかぐや姫が成長する過程を通して表現したもの」「日系4世代が同時にパレード」「高下駄を履いた花魁行列風のモダンダンス」「日系高齢女性とブラジル人若者二人組による歌舞伎風モダンダンス」「巫女風衣装の3人の白人の若者がショーパブ風の踊りを始めながら、最後はブラジル国旗を模ったカーニバル風衣装の若い女性が登場してサンバを踊って締めくくるもの」「織田信長役の同協会理事が静々と花道を進みながらところどころで刀を抜いて見せた後に、弥助役の身長190センチの黒人男性が鎧風の衣装で登場するもの」など創造性豊かな物語が3分から5分で語られる。

 それぞれの行列に日本の歴史や文化を説明するナレーションが司会者から語られ、物語性を増す演出になっている。

 特に感動的だったのは大団円のパレードだ。最後にモデル130人が総出演して花道を歩き、それまで真剣に自分の役を演じていたモデルたちが本来の表情を取り戻し、司会をしていた森マリアさんとデラウドさんに熱烈な感謝の抱擁をしてから立ち去っていく姿に、動画を撮影しながら強い感銘を受けた。

 「着物」という素材を使って、これだけ物語を展開し、インスピレーションを膨らませることができるということに、衝撃を受けた。しかもこれがリンスという人口7万4千人の地方都市で始まったことが、実に興味深いと感じた。

JICAの研修から始まった着物ショー

 実行委員長の斉藤ルシアさん(62歳、2世)に着物ショーのきっかけを尋ねると、次のように答えた。

 「私たちは着物の再解釈をしようとしています。日本食やポップカルチャーがブームになっていますが、私たちは着物を通して日本文化を伝えられないかと考えました。着物は1千年以上も伝統がある文化ですが、今では陳列ケースの中のものと思っている人もいます。ですが、着物は誰でにも、どのようにでも使えるはず。日系子孫だけでなく、ブラジル市民にも使ってもらうためには、現代風かつブラジル的な使い方を工夫する必要があります。日本から送ってもらった着物と、こちらで買った素材を組み合わせ、着付け教室を開く中で、皆で利用法を考えた結果が、このパレードです」

 さらに「着物は再利用可能で、たくさんの人、色々な世代が使用可能なものです。私たちが使用する着物も大半が寄付されたものです。特にJICAボランティアとしてリンスに日本語教師として赴任していた久保哲朗さんが、現在住む長野県田原市で呼びかけて、昨年に続きたくさんの着物を送ってくれました。おかげで今回も新しい衣装でパレードできました。本当に感謝しています」という。日本で使われなくなった中古着物に、地球の反対側で新しい命が吹き込まれている。

 ルシアさんは「リンス市民はショーのアイデアをとても気に入ってくれ、今年は全部で130人がモデルとして参加してくれました。中にはサンパウロ市、モジ市、ミナス州、カフェランジア、アラサツーバ、リンス近郊都市から集まってくれた人もおり、着物を通して交流が広まっています。これは我々にとってとても重要なことです。第1回の参加者は50人でした。最も困難だったのは着付けですが、着付け教室を通して自分でできる人が増えてきました」とコミュニティ活性化の効果もあるという。

 ルシアさんは2022年にJICAを通して日本で着付け研修を受けた。その研修同期の佐藤クリスチアーネさんもサンパウロ市から着付けの手伝いに駆け付けた。JICA研修はこのように日本文化普及に役立っている。

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リンス市民と日系団体の協力と調和の結実

 当日、弥助役で出演したジョルジ・ルイス・ド・オリベイラさん(39歳)に参加した動機を尋ねると、「侍などの日本文化が好きだから。特に弥助は興味があった。日本の漫画やネットフリックスのドラマで見ていた」とのこと。身長は190センチあり、パーソナルトレイナー(運動・健康指導者)を職業とする。

 横で甲冑衣装の着付けをしていたデラウドさん(60歳)に聞くと、この甲冑衣装制作には2週間がかかったという。「私は昔から日本文化に興味があり、だいぶ前からこの会館に出入りして手伝ってきたから今回も参加した。僕は他人を助けたり助けられたりする関係が好きだから、このパレードに関わっている」と説明した。

 最高齢の森シズさん(97歳、新潟県出身)は息子の森マツヨシさん(76歳、2世)に腕を支えられながら、孫や曾孫と4世代一緒にパレードした。1928年、3歳の時に親に連れられて渡伯したといい、日本移民史の広がりを感じさせる存在だ。

 一見してとても着物が似合っていたが、実は「お母さんが日本から持ってきて、仕舞っていたようですが、着物は普段着ることもないですし、移民生活の日常で、着物を見ることもありませんでした。いつもブラジルの服で育ってきました」とのこと。娘(斉藤ルシアさん)が着物ショーを始めた関係で、人生の最後のステージで着物を着る機会ができた。

 大半の出場者が貸与された着物でパレードするが、中場マサ子さん(75歳、愛媛県出身)は珍しく自分の着物で参加した。「4回とも出場しました。ブラジル人が着物に興味を持ってくれた本当に嬉しい」と微笑んだ。

 会場にいた安永和恵さん(46歳、4世)は「第2回、第3回は私もパレードしました。着物を着ると気分が変わります。とても気持ち良かったです。でも今回はスケジュールが合わなくて・・・」とのこと。

 来場者のスザナ・アパレシーダ・アブロン・アウベスさん(51歳)は今回2回目だという。来場した理由を聞くと「息子の嫁がパレードするから見にきた」とのこと。「嫁は着物がすごく似合うと思う。とっても綺麗だわ」と笑顔を浮かべた。

 青い着物を着たマリア・マダレーナ・マルチーニョ・ダ・シルバ・オカーニャさんに聞くと、縫製のボランティアをしており、着物をモデルに合わせたり、素材として加工もしている。「ついでに私もパレードに参加しようかと思って」と笑う。着物を着た気持ちを質問すると、「とっても感激するわ。嬉しいし、感謝しかないわ」と語った。

日本の着物業界やモーダ関係者必見では

 「日本移民の故郷」ノロエステ線の中でも、平野植民地や上塚周平のプロミッソンなどに並んで、初期に入植が始まった場所であり、日本移民及びその子孫と地元ブラジル人との共生の歴史が長い。その時間をかけて生まれた調和の美、地方ならではの緊密な人間関係の深さ、地方都市だから残る伝統的ブラジルの良さが、パレードの質を押し上げているように思った。

 ぜひ来年は、日本の着物業界関係者、モーダ関係者にも見てほしいショーだと痛切に感じた。外国人から見た着物文化という発想の切り替えのエッジが見事に効いていて、清々しいぐらいだ。しかもただの外国人ではなく、カーニバル文化という伝統を持つブラジル人ならではの創造性が、着物の再解釈を可能にしている。その仲介、コーディネーター役をするのが日系人という点も、実に適材適所だと感じる。(深)


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