ウクライナ軍に志願した男女=交際出産経て再び戦地へ

ウクライナ戦争に志願兵として参加していたブラジル・パラナ州出身の男女が現地で出会い、交際を開始した。妊娠を機に一時帰国し、出産を経てもなお、戦地への再赴任を計画しているという。ブラジル人カップルの異例の人生模様について14日付G1など(1)(2)が報じた。
パラナ州西部サンタエレナ出身のグスタヴォ・オストロウスキさん(22歳)は、24年1月にウクライナ軍に志願した。アドリアーネ・マルシャル・ペレイラさん(21歳)さんとは直接の面識はなかったが、同郷ということもあり、SNS上で交流を続けていた。その6カ月後、アドリアーネさんも志願兵として現地へ渡航、2人はそこで交際を始めた。
アドリアーネさんは当時の心情について、「彼との交際に至らなくとも、会いに行く決意をした。少なくとも新しい経験ができると考えた。もともと軍事や兵器に興味があった」と述べている。
ウクライナでは、18年9月6日に議会で可決された法律第2523―VIII号により、女性が男性と同等に戦闘職務を含むすべての軍務に従事できる権利が認められている。この法改正は同年10月27日から施行。政治史の専門家アンデルソン・プラド氏は「女性の軍参加は著しく増加し、ブラジル人を含む外国人志願兵も直接戦闘および後方支援に従事しているが、ブラジル外務省はこれを公式に認めていない」と指摘する。
アドリアーネさんが現地に赴任して約2カ月後、戦闘任務開始予定日の3日前に妊娠が判明した。これを受け、前線での任務は中止となり、以降は兵士家族のためにポルトガル語およびスペイン語の通訳を務めた。
その直後、グスタヴォさんが軍の作戦任務中に肺に穴が開く重傷を負った。アドリアーネさんはこの一件による精神的ショックから流産の危機に見舞われ、約1週間の入院を余儀なくされた。
2人はさらに4カ月間ウクライナに滞在した後、25年1月にブラジルへ帰国。グスタヴォさんは「食文化の違いに加え、妊娠によるつわりでアドリアーネの体調が優れず、ブラジルで出産する決断を下した」と説明している。2人は現在、グスタヴォさんの父親が所有するパラナ州の農場で、生後2カ月の娘の育児に専念している。
一方、14日付G1サイト(3)によれば、同様にウクライナ軍に志願兵として参加していたブラジル人兵士ジャクソン・アウレリオ・ロウレンソ・ド・ロザリオ氏(マット・グロッソ州カセレス出身)が、爆撃戦で戦死してたことが13日確認された。ジャクソン氏は「パンタネイロ」の愛称で知られ、先月から行方不明となっていたが、彼が所属していたウクライナ部隊の仲間によって、死亡が確認さ
れた。
2月3日付UOL記事(4)によれば、その時点で少なくとも16人のブラジル人がウクライナ戦争ですでに戦死していた。
そんな中でも赤子を授かったばかり2人は、戦地への再赴任の意志を示している。グスタヴォさんは「戦争が懐かしい。戦地での任務を再開したいが、彼女は志願兵としてではなく、私が所属する大隊の近隣の安全な街で生活する予定だ」と述べ、アドリアーネさんもその方針に同意している。
家族は休暇時に再会し、育児と戦地勤務を両立を図る計画だ。アドリアーネさんは「子育てという点では、ウクライナはブラジルと似ていると感じた。グスタヴォが任務に就いている間、私は安全な街で子育てに専念したい」と話した。
一方、ブラジル外務省は、外国軍への参加者が増加する中、帰還や脱退の過程で死亡または深刻な困難に直面する事例が増えているとして警鐘を鳴らしている。同省は、軍事的な就労契約により領事支援が制限される可能性があるとしたうえで、軍事関連の申し出を拒否するよう国民に呼びかけている。今回のカップルの件について、同省は公式なコメントを控えている。
パラナ州中部のプルデントーポリス市(Prudentópolis)は人口約5万人のうち、実に8割がウクライナ移民と子孫だ。パラナ州には他にもウクライナ系人が多い町があり、この戦争に関心を寄せるブラジル人が多いと言われている。