『楽書俱楽部』第80号刊行=懐かしさ満載の体験談
日毎叢書企画出版(前園博子代表)の『楽書俱楽部』第80号が10月15日に刊行された。今回も35人の投稿者によるバラエティ豊かな内容が132頁も満載だ。その本の一部を以下、紹介する。
「宝おばさん」(末定いく子、24頁)には、興味深い人生譚が記されている。著者は幼少時から難病「脊椎側弯症」を煩い、母親は彼女を「宝おばさん」として実家で引き取ろうと考えていたそう。これは、自力で生きるのが難しい障がい者に手職を覚えさせ、自宅で家長と共に生活する人のこと。
だが末定さんは「実家のお荷物になるのは御免だ」と心に決め、名曲「遠くへ行きたい」に心を揺さぶられ、東京の病院に就職。家族に黙ってブラジル移住を決め、渡航直前に事後報告に実家に帰省したところ、母は3週間も口を聞いてくれなかったが、最後は大送別会を催してくれたとか。
「サドキン村のバイレ」(向井伸夫、30頁)では、グアルーリョス市にあった特殊電球製造会社サドキンの社宅住宅や独身寮での生活の様子が描かれる。4年ほどここにお世話になった著者は、彼以外の独身青年には皆ナモラーダ(恋人)が居たことに気づくも、「私は対人恐怖症で人付き合いが苦手」だったとか。
入社10日目ぐらいの晩、寮の姉御的なKさんが訪ねてきて「アンタ、女の子を敬遠しているようだけど、あの娘たちは女王様でもお姫様でもないんだよ。アンタ達と同様〝ウスギタナイ〟ものなんだと」と言った。
《〝ウスギタナイ〟とは、余り良い表現とは思えなかったが、インパクトのある言葉で、60年後の今でも思い出す》とのこと。でも発破をかけられたおかげで話をするようになり、マリアという美しい彼女と付き合うようになった経緯が懐かしさ満載の文章に描かれている。
「多様でOK」(伊藤喜代子、39頁)には、日本でブラジル人相手に美容整形外科市場を切り開いた起業家精神溢れる実話だ。日本で眉の入れ墨の仕事をするうちに、美容整形を希望するブラジル人がたくさんいるが、言葉が通じないために諦めている人が多いことに気づき、飛び込みで名古屋の整形外科病院に電話して経営者に面会して了解してもらい、ブラジル人向け雑誌に広告を出すと《電話が降るようになり続け院長を驚かせた》という。
《私は通訳をしたので、患者の様々な悩みを話さなければならず、人間は全く色々な悩みを抱えている生き物だと知った。と同時に美容外科は精神科のようなものだと思った》との興味深いコメント。
次の原稿締め切りは26年1月10日。関心のある人は同企画出版(グロリア街332番S/32、電話11・99471・3577、nitimaisousyo@gmail.com)まで連絡を。








