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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(196)

2025年7月2日

 襲撃班、サンパウロへ

 宮腰宅での集会が開かれた頃、キンターナ、ポンペイア、ツッパンの襲撃実行班がサンパウロへ移動しつつあった。
 押岩談に戻る。
 「愈々…ということ
になり、我々は幾つかのことを決めた。
 まず、決行に当たっては、第三者を巻き込まない、警官には銃を向けない、目的達成後は自首する…と。
 さらに全員が指揮者であり部下である、ということにした。
 そして『サンパウロで、一番、敗戦論を振り回している奴をヤル』ことにした。
 (ヤル対象としては)終戦事情伝達趣意書の署名者の名前が挙がった。が、誰が中心なのか、よく判らない。サンパウロに行ってから決めることにした。
 皆、命を捨てる覚悟だった。が、妻子ある者が多く、それをどうするか…ということになった。その世話をする者を一人残すことになった。それにワシが指名された。
 志を継ぐ者を養成するという任務も託された」
 サンパウロへは、まず新屋敷が先行した。協力者探しや襲撃班の宿舎の確保などをするためであった。
 続いて十人が数人ずつ移動した。
 押岩談。
 「ワシはサンパウロへ向う同志に、日の丸を贈った。余白に『決死報国』『特行隊』と墨書して…」 
 特行隊という名称は「みんなで話している時に決った」という。 
 なお、押岩は達筆家として知られていた。 
 ただし、この時、日の丸を贈った相手は、同志全員ではなく一部だったと思われる。 ツッパンの日高と山下は知らないという。キンターナの蒸野も同じである。 

 密使は少女たち

 襲撃班がサンパウロへ向かうに際しては、残留者、協力者を含めて、互いに種々の連絡が必要だった。
 が、三カ所の町に住んでおり、この頃になると、鉄道の駅では警官が見張っていた。傍には敗戦派の人間がついていた。要注意人物を見つけるためであった。
 ために怪しまれない連絡役が必要となった。
 それを引き受けたのが、前出の横山重男、その実姉の白石カズエ、カズエの二人の娘たちである。姉の静子は十五歳、妹の悦子は十二歳だった。
 この二人も、筆者は日高の紹介で会うことができた。
 悦子は、家に出入りする人たちから「エッちゃん」と呼ばれ可愛がられていた。このエッちゃんが、叔父が書いた連絡用の手紙を、母の言いつけで、キンターナの押岩の所へ運んだ。子供なら怪しまれないだろう、と選ばれたのである。
 しかし子供が一人で汽車に乗ったらヘンに思われるかもしれないので、汽車が駅に着くと、改札口とは反対側の柵を潜り抜けて、コッソリ乗り込んだ。
 横山・白石の両家族の住む家は、ポンペイアの駅のすぐ近くにあった。
 キンターナに着くと、何食わぬ顔で大人に混じって、駅の外に出た。すると、一人のオジさんが近づいてきて「エッちゃんだね?」と声をかけた。
 それが押岩だった。予め彼女が行くと連絡してあったのである。
 押岩は、前章で触れた様にシャレッチに観光客を乗せて、その辺を案内するという仕事をしていた。
 エッちゃんが手紙を渡すと、その馬車に彼女を乗せて、アチコチ歩いた。
 手紙は何通もあり、封筒には何も書いてないのに判るらしく「これが吉田さん宛てだな」「これが蒸野さん…」などと言いながら、届けて歩いた。つまり密書であった。 
 エッちゃんはキンターナ以外にも、何度か、この密使として行った。
 姉の静子も同じ密使を務めたが、それ以外に、襲撃班がサンパウロで使用する拳銃を━━慎重を期して彼らには持たせず━━途中まで母親と一緒に運んだことがある。
 二人は十一丁の拳銃を二つの鞄に入れて、ポンペイアから汽車に乗った。その日、叔父や襲撃班三、四人も同じ汽車に乗っていた。叔父は二人と同じ車両、襲撃班は別の車両だった。その叔父が傍に来て、
 「気をつけろ、そこに居る男は刑事だ」
 と囁いた。
 男は新聞を読むふりをしていたが、紙面が上下逆だった。新米で緊張していたのかもしれない。 
 汽車がバウルーに着いた時、大勢の乗客が降りる混雑の中で、叔父は二人にポンペイアに戻る様に耳打ちし、鞄は自分が受け取った。
 二人は汽車が発車間際に、パッと飛び降り、刑事をまいた。
 静子は(皆、悪い人たちと戦いに行くのだから、ピストルくらい必要だろう)と思っていた。(つづく)


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