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ジルベルト・ジルの娘プレッタ=多様性の象徴、50歳で死去

2025年7月22日

父ジルベルト・ジル(左)と写るプレッタ・ジル(右)(Foto: Instagram/Reprodução)
父ジルベルト・ジル(左)と写るプレッタ・ジル(右)(Foto: Instagram/Reprodução)

 「ブラジル音楽界の知性派レジェンド」ジルベルト・ジル―その娘で歌手や女優、司会者、実業家として多彩な才能を発揮したプレッタ・ジルが20日、米ニューヨークで死去した。行年50歳。約2年半にわたりがん治療に専念していた。偏見や困難に屈することなく、音楽とメディア双方において多様性と表現の自由を体現し続けた彼女の死は、国内外に深い悲しみをもたらしたと同日付ヴァロール紙など(1)(2)が報じた。

 プレッタは1974年、父ジルベルト・ジルと母サンドラ・ガデーリャ氏の間に生まれた。名前の「プレッタ(黒)」は、父が黒人文化や自身のルーツを尊重する意味を込めて名付けたとされているが、当時の戸籍担当者は「プレッタは人名として認められない」として登録を拒否。カトリックの洗礼名を付け加えることを条件に、「プレッタ・マリア」として登録が許された。

 プレッタは3度の結婚を経験しており、1994年に俳優オタヴィオ・ムーレルとの初婚で、息子フランシスコをもうけた。

 彼女は広告業界でプロデューサーとして活躍した後、29歳で歌手に転身。父がルーラ第1次政権下で文化相を務めていた04年に、デビューアルバム『プレタ・ポルテ(Prêt-à Porter)』をリリース。同作には友人である歌手アナ・カロリーナが彼女のために書き下ろしたヒット曲『情熱のしるし(Sinais de Fogo)』が収録された。

 だが、アルバムのジャケットで全裸を披露したことで物議を醸し、彼女は「もし痩せていたら騒がれなかった」と語り、その後は身体の多様性を訴える象徴的存在となった。05年には2枚目のアルバム『プレッタ(Preta)』、10年には3枚目『プレッタの夜(Noite Preta)』を発表し、全国ツアー「プレッタのダンスパーティー(Baile da Preta)」を展開。ブラジル音楽への敬意を込めた多彩な音楽性を示した。

 プレッタは音楽にとどまらず、テレビのトーク番組の司会など、メディアでも幅広く活躍。バイセクシュアルであることも公表し、LGBTQIA+コミュニティを後押しする「黒人・女性・肥満」という多様性の象徴として支持された。保守的な価値観や偏見にさらされながらも、自らの個性と信念を貫く姿勢は多くの人の共感を呼んだ。

 プレッタは23年1月に大腸腺がんの宣告を受け、ブラジル国内で化学療法と放射線治療を受けた後、24年8月に腫瘍除去の手術を受けた。だが、再発し、複数の臓器への転移が確認されたため、米ニューヨークに渡り、ワシントンの専門医療施設で実験的療法に挑んでいた。

 父は公式SNSで、遺体の本国送還に関する事務手続きが進められていることを明らかにした。葬儀の日程は未定。リオ州とリオ市は公式声明で3日間の喪に服すことを発表。エドゥアルド・パエス市長は「彼女は多くの人々に希望と喜びをもたらした存在だった。深い悲しみとともに、その業績を称えたい」と述べた。


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