フクス判事の無罪判断で大波紋=「最高裁の判例法は非常に不安定」

連邦最高裁(STF)で審理中の、ジャイル・ボルソナロ前大統領ら被告8人が関与したクーデター未遂事件で、前大統領ら6人の被告の無罪を主張したルイス・フクス判事の判断が大波紋を呼んでいる。これまで厳罰主義で知られ、ラヴァ・ジャット裁判やメンサロン裁判でも有罪判決を後押ししてきた同判事の〝180度の転換〟に、司法界からは「歴史的な異例の判断」との声も上がる。左派は憤慨し、右派ですら困惑を隠せないなどブラジル政界に広範な衝撃を与えていると10日付BBCブラジル(1)(2)やヴァロール紙(3)が報じた。
フクス判事は70年代にリオ市で検察官としてキャリアをスタートさせ、83年から裁判官になった。リオ州裁判所や連邦高等裁判所(STJ)を歴任。リオ州立大学(UERJ)の教授でもあり、訴訟法学の著名な学者として知られ、11年にジルマ・ルセフ大統領(当時、労働者党・PT)によりSTF判事に指名された。司法関係者の間では同判事は法的知識や技術面で非常に優れていると評されてきた。
同判事はかつて、ブラジル史上最大の汚職事件「メンサロン事件」(第1期ルーラ政権下の05年に発覚した議員買収疑惑)において厳罰主義的な立場を示し、14年に開始された石油公社ペトロブラスを巡る大規模汚職追及の「ラヴァ・ジャット作戦」では、捜査と有罪判決の多くを支持してきた。二審判決での先行拘禁を認めたことは、ルーラ氏収監に直結し、刑事司法の厳格さを示した。
そんな同判事の今回の判断は「歴史的な転換」とみなされている。10日に行われた審理では、ボルソナロ氏ら6人の被告に対し、検察が指摘した三~五つの罪状全てに無罪を主張した。
フクス判事は、STFおよび小法廷には本件を審理する権限がないと主張し、訴訟手続全体の無効を訴えた。事件の内容は、通常の裁判所が担当する第一審で処理されるべきであるとし、たとえSTFに管轄権があるとしても、5人の判事で構成される小法廷ではなく、11人全員が参加する大法廷で審理されるべきだと述べた。
この特権管轄権と司法管轄権の問題は、なぜボルソナロ氏が最高裁で直接裁かれているのに、ルーラ氏はラヴァ・ジャット裁判でサンパウロ州沿岸のグアルジャにあるアパートの購入と改築の事件でパラナ州の第一審で裁かれていたのかという議論を引き起こしている。
この主張は、被告側の弁護団も一貫して訴えていた主張と一致。弁護側が指摘した十分な準備時間の欠如による防御権の侵害も認めた。この防御権の制約は、トランプ米大統領がブラジルに対して科した制裁の根拠とも重なり、国際的な人権問題にも発展している。
一方、司法界の専門家はフクス判事の姿勢がこれまでの厳罰路線から著しく異なると指摘する。リオ・グランデ・ド・スル州カトリック大学法学部のアウリー・ロペス・ジュニオール教授は、「フクス判事はこれまで幾度となく検察側を支持し、被告側が不当な拘束からの解放を求める勾留差し止め請求(habeas corpus)も99%却下してきた。今回の無罪支持は彼の過去の判例と完全に矛盾する」と述べた。
弁護士や法学者らは、フクス判事が適正手続の原則(デュープロセス)を重視し、証拠の不整合を理由に告発の根幹を揺るがせた点に注目している。判事は、検察が本件の中心証人と位置付けたシジ被告やバチスタ・ジュニオル元空軍司令官の証言について信用性に問題があると指摘。
決定的な証拠の一つとされる文書「プニャウ・ヴェルデ・アマレロ(緑黄の短刀)」についても、存在自体は否定しなかったが、「前大統領がこれを実際に目にしたとまでは断定できない」と述べ、責任の立証には至らないとの判断を示した。この判決は、他のSTF判事との対立も浮き彫りにした。
政治的には、今回のフクス判事の判断は左右両陣営に大きな波紋を広げている。左派には厳罰主義の象徴とされていた同判事が、ボルソナロ氏らにほぼ全面的な無罪を主張したこと自体「裏切り」と映る。
一方、右派の中でも驚きの声が広がった。フクス判事はこれまで汚職摘発で検察側を支持し、政治家への厳罰を後押ししてきた人物であり、ボルソナロ陣営に近いとは見られていなかった。その彼が今回は弁護側の主張に同調し、訴訟手続きの無効や証拠の不備を認めたことで、ボルソナロ氏の弁護士セルソ・ビラルディ氏ですら「私たちの魂は浄化されました」と記者団に語った。
今回の判断は、右派が推進してきた恩赦法案の戦略にも影響を及ぼす可能性がある。無罪や訴訟無効の余地が現実味を帯びたことで、「もはや恩赦は不要」との声も強まっている。フクス判事の一票は、政治的にも司法的にも波紋を広げ続けている。
最高裁の規則によれば、小法廷で少なくとも一部の訴因について被告人を無罪とする票が2票あれば、侵害差し止め訴訟と呼ばれる控訴が可能、または大法廷に案件を移せる。とはいえ、残りの判事が無罪に票を入れることは現実的ではない。
フクス判事はこれまで、厳罰的な姿勢でブラジルの司法界をリードしてきたが、今回の判断では裁判手続きの正義や被告の憲法上の権利を重視し、刑事手続の専門家としての見識を反映させた。これは最高裁史上まれに見る大きな分岐点となり、今後の司法の方向性や政治的影響を大きく左右する可能性がある。
フクス判事による訴訟無効の投票、そして特権管轄権と管轄権に関する議論は、今後の展開について考察の余地を与えている。10日付BBCブラジルの記事によれば、サンパウロ弁護士協会刑法研究委員会の副委員長を務めるマイラ・ボーシャン・サロミ氏は「私たちの判例法は非常に不安定です。特に最高裁判所においてはそうです。同じ裁判官であっても、同じ法律や憲法の条文に対して何度も異なる解釈を示すことが多いのです」とコメントしている。
このように専門家の中には、ルーラ氏の扱いがバザ・ジャット盗聴漏洩事件で大きく覆ったのと同様、今後の最高裁判事の入れ替わりや役職の変化を考慮すると、クーデター裁判が控訴となって長引けば、将来的に異議を唱えられたり、覆されたりする可能性があると指摘している。