《寄稿》現代にこそ活かせ、報徳思想=道徳の象徴・二宮尊徳翁のお話=ブラジル金次郎会/清和友の会 榎原良一
始めに
現代の私達は、物質的にはとても豊かな時代に生きています。
しかし同時に、価値観の相違による争い、経済格差、そして、人間関係の希薄化など様々な課題に直面しています。
このような現代の様々な問題を解決するヒントを、200年前に生きた一人の人物が残しています。その人物が、江戸末期の農政家二宮尊徳翁です。彼は農民として生まれながら、荒れ果てた600もの農村地域を再生して、地域の人達の生活を立て直しました。

2.二宮尊徳翁の人物像
彼は江戸時代末期の1787年に、現在の神奈川県小田原で生まれました。幼少期に父母を亡くし、家は近くを流れる川の氾濫により大部分の田畑を失い家は没落。少年時代は荒れ果てた畑を一人で耕しながら、苦学を重ねました。
尊徳翁が薪を背負いながら本を読む姿、銅像にもなっているあの姿です。勉強を諦めずに、労働と学問を両立させる象徴的な姿として、今でも語り継がれています。
成長した尊徳翁は、諸藩の要請を受けて荒廃した農村の再建に取り組みます。米の生産を増やすだけでは無く、農民の心構えや生活のあり方まで変えて行きました。そして、その成功は評判となり、幕府や諸藩から農村復興を任されるようになりました。
その実践の根底にあったのが、報徳思想でした。
3.報徳思想の基本
報徳思想には、4つの基本的な考えがあります。
【至誠】誠を尽すこと。人や自然に対して誠実であることが、信頼と調和の基礎となります。
【勤労】働くことの尊さ。どんな仕事にも価値があり、労働そのものが人間を豊かにする。
【分度】身の丈を知ること。必要以上の贅沢はせずに、自分の立場に合った暮らしを心がける。
【推譲】余りを他者や次世代に譲ること。助け合い、社会全体で支え合う至誠です。
尊徳はこれらを道徳としたのではなく、実際に農村経営や政策の基盤として活用しました。まさに、「実践の哲学」でした。
4.明治時代の学校教育に導入された報徳思想
▪️明治政府と教育制度の始まり
明治維新後、日本は近代国家を目指して、教育を重視しました。1872年に「学制」が公布されて、全国的に学校制度が整えられました。一方、西欧の制度を急速に取り入れる中で、「日本人としての道徳心」や「勤労観」をどう育てるかが、大きな課題となりました。
▪️報徳思想への注目
そこで注目されたのが、二宮尊徳翁の報徳思想です。尊徳翁は「至誠 勤労 分度 推譲」という四つの考えを説きました。誠実に生きること、働くことを尊ぶこと、身の丈に合った暮らしを守ること、そして余りを他人や次世代に譲ること。
これらはまさに、近代化を進める日本において、国民に求められた道徳の基盤となりました。
▪️学校教育への取り入れ
(1)修身教育。子供に道徳を教える科目で、尊徳の逸話が数多く教材に掲載されました。
(2)二宮金次郎像。薪を背負いながら本を読む金次郎の姿は、勤勉と努力の象徴として、全国の小学校の校庭に建てられました。
(3)地域社会との連動。各地に「報徳社」という組織が作られ、農村振興と教育活動を勧めました。これは、学校教育と地域の道徳教育を結びつける大きな役割を果たしました。

明治教育と報徳思想の意義
このように、報徳思想は明治時代の学校教育に深く組み込まれました。「勤労・誠実・倹約・助け合い」という価値観を子供達に伝える教材でした。
日本が近代国家として成長していく中で、報徳思想は道徳教育の柱となり、人作りに大きく貢献しました。
日系人に伝えたいこと
さて、ここからは、特に日系人の皆さんにお伝えしたいことです。日系社会の原点を認識して、次世代に残してもらいたいと切に願う次第です。
皆さんの祖先は、明治時代に日本で教育を受けて、修身科目という授業で道徳を学びました。「誠実」「勤勉」「協調」「堅実」といった人間形成の力となる教えでありました。そして、その皆様の祖先が、大きな夢を抱いてここブラジルに移住して来ました。
言葉も文化も違うこの異国の地で、主に農業に従事しながら、家族を護り、同胞と協力し合いコロニア社会を築き上げました。これら祖先の努力は並大抵のことではありません。しかし、皆さんの祖先は、明治時代に学んだ道徳教育に支えられて、幾多の困難を乗り越えて来ました。
「誠実さ」は、ブラジル社会の人達から信頼を勝ち得ました。「勤勉さ」は、仕事を通じて家族を支えました。「協調性」は、相互扶助の精神を社会に根付かせました。「堅実さ」は、異国の地で生き抜く力となりました。
そして今日、日系人の皆さんは、ブラジル社会のあらゆる分野において、大きな役割を果たし活躍しています。しかし、この活躍は皆さんの努力だけで成し遂げたものではありません。祖先が道徳の教えをここブラジルで実践し続けてくれたからこそ、今の私達があるのです。
どうか、日系人の皆さん、日系人としての誇りを持ち続けて下さい。自分達の根源を知ることは、皆さんの人間形成にも役立ちます。親日家で著名な人類学者クロード・レヴイ=ストロースが素晴らしい言葉を残してくれています。
「人間を脅かす禍は、自らの根源を忘れてしまうことである」
5.現代社会への応用
さて、報徳思想は過去に農村を復興させただけではなく、現代社会が抱える幾つかの問題を解決する為のヒントになると思います。今度は、日本が抱えている大きな問題の一つ「少子化」を例にとって、応用の可能性を探って見ましょう。
「少子化」の主な原因の一つは、「高学歴社会(高学歴主義)」にあります。今の日本は将来の職業や社会的地位が、学歴に大きく左右される社会になってしまいました。
一方、高学歴による家庭の経済負担は、そうでない場合に比して大きいのが現状です。では、具体的に、中卒、高卒、そして大卒のそれぞれの場合の日本の一般的な子供の養育費と教育費を比べて見ましょう。
◎中学校卒業までの養育費と教育費の合計:約1500万円(公立学校)
◎高校校卒業までの養育費と教育費の合計:約2000万円(公立学校)
◎大学卒業までの養育費と教育費の合計:約5000万円(下宿代、私立大学)
特出しているのは、大学で学ぶ際の費用(仕送り、学費等)です。
今度は、結婚適齢期の若者の未婚率(2020年データー)を1980年のデーターと比較してみましょう。
男性 25-29歳:約76%(1980年:約55%)
男性 30-34歳:約52%(1980年:約21%)
女性 25-29歳:約66%(1980年:約24%)
女性 30-34歳:約39%(1980年:約 9%)
これらデーターから、結婚適齢期の若者が結婚後の経済的な不安により、結婚に躊躇する傾向が見て取れます。果たして、自分が結婚しても家族を養っていけるだろうか? こう考える若者の気持ちが良く理解出来ます。その若者が非正規社員として、どこかの企業で働いているとしたら尚更です。
さて次に、最終学歴中卒の過去の10年毎の推移を見てみましょう。
1960年:約70%/1970年:約55%/1980年:約30%/1990年:約22%/2010年:約19%/2020年:約13%
昔の日本は特に高学歴に固執していない社会だったことが、このデ-タ-から見て取れます。今から65年前の1960年には、中学校を卒業した学生の約70%が高校や専門学校に進学していません。職人とか工場労働者、或いは第一次産業従事者として働くことが当たり前の社会だったことが推測出来ます。一方、今の社会では、中卒のまま社会に出るのは少数派になっています。
さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。果たして、報徳思想の教えを応用して、少子化の主な原因の一つである「高学歴主義」を現代社会から取り除くことが出来るのでしょうか。
報徳思想の代表的な教えの一つに「万象具徳」があります。
【万象具徳】全ての物に良さがある。万象とは、自然や人、物など、世の中に存在するあらゆる物を指し、具徳とは、それぞれが徳(価値、役割)を備えているという意味です。
ある若者が自分の手先の器用さを活かせたいなら、中学校を卒業して町工場で働いて製造技術を身につければ良い。住人がのんびり過ごせる住宅を建てる大工さんになれば良い。
社会の風潮に合わせて、全ての若者が大学で学ぶ必要はありません。
尊徳翁の成し遂げた農村復興の真髄は、農民の心構えや生活のあり方を変えたことにあります。国民が『万象具徳』の教えを実践し、価値観が変り、社会の最も大切な本質がみえてくる。その結果、それぞれの人が備えている役割、価値を社会に貢献する。学歴さえ有れば人生安泰という「高学歴主義」が全く意味を持たない社会がやって来ることになります。

6.大谷翔平選手と報徳思想
大谷翔平の母校花巻東高校は、報徳思想を教育理念に掲げています。生徒にはその教えや精神が日常教育を通じて浸透しています。そして、大谷選手の日常や行動に報徳精神が反映されているのがわかります。彼の普段から見せる誠実さや思いやり、感謝の心、社会貢献の姿勢が報徳思想そのものを体現しています。
彼のこういった行動は、米国人を虜にしています。何故ならば、米国人からしてみると、大谷選手は自分達米国人と全く異質の人間と見えるからです。
この現象は、国際社会において日本人が活躍する為のヒントを教えてくれています。「隣の芝は青く見える」という言葉があります。他人と自分を比較して他人の物がより魅力的だと感じてしまう。特に、自虐史観を身にまとった日本人は、外国や外国人をうらやましく感じてします。
大谷選手は「どこに行っても誰と接しても日本人らしく堂々と行動しよう」と教えてくれています。