ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(295)
増資積立金は、戦時中に二㌫から五㌫へ引き上げられたことがある。が、これは、戦争特需の影響で景気が沸き、農産物の市況も上昇…という特殊な状況下でのことである。終戦後、二㌫に戻されていた。
従って、この再度の五㌫への引き上げには、囂々(ごうごう)たる反対の声が、組合員から沸き起こった。当たり前のことで、過重な負担だった。
下元は、会議で自説が強い反対にあって紛糾すると、怒り心頭に発した態で、
「辞める!」
とパッと上着をかついで席を蹴って退場するのが、しばしばであった。その光景が名物になっていたほどである。(彼は会議では、いつも上着を脱いで椅子に掛けていた)
そうした場合、後に残った役員や主だった組合員が相談、
「やはり、あの男以外に、コチアを経営できる人間はいない。引き受ける人間も居ない」
ということで、使者が説得のため、下元の家に行くのが通例になっていた。
家に着くと、そこには必ずフェラースがいた。彼は常に下元の味方であった。
使者を迎えると、下元はこう雷を落とした。
「ヴォセッ(お前)らは、産組というものが未だ解っていない!」
使者は、また会議の場に引き返し相談を重ねるという具合だった。
この時もそのような場面があり、解決が長引いた。が、結局、下元の粘り勝ちとなった。
ところで、どういう経緯で、こんな投資をしたのか?
実は近く組合員からのバタタの入荷が増える見込みであったため、担当者が手頃な土地と倉庫を探していた。が、見つからず弱っていた。偶々、売りに出ていたこの物件に出会ったが、
「途方もなく大きく、到底手を出せるものではない」
と諦めつつも、帰って下元に報告した。すると、下元がフト、
「現物を見る」
と言い、出かけて行って買うことにしたという。
この経緯からすると、何かの思いつきが絡んでいた筈だが、それが何だったのか…を明示する資料は、これまた、見つからない。
右の二奇策、下元は何故、強行したのか?
以下は、これも既述の「野心的戦略」の場合と同様、断片的な諸資料から引き出した回答である。
それ以前、下元は耳の奥で深刻な警鐘を、二つ聞いていた。
一つは、組合員農家に於ける若者の「土」離れである。
彼らは、ブラジル生まれが多くなっていた。戦前育ちは日本人、農業者として育った。が、戦後育ちは、日本の敗戦で、ブラジル人意識を持つようになり、さらに上級学校へ進んで土…つまり農業から離れてしまう者が増えていた。
個人主義に走り、組合の協同精神には背を向ける風潮も強まっていた。
下元は戦後、彼らを集めて農村青年講習会なるものを始めたことがある。これは途中から女性も含めた。
産青連運動の再開という狙いも込めていた。が、期待した様には熱気を発しなかった。
ために「日本の農村社会で協同精神を身につけた若者を大量に呼びよせる」という策を思いついた──。
警鐘の今一つは、不良組合員の増加であった。組合を利用するだけで義務を果さない…例えば生産物を抜け売りする組合員の比率が高まっていたのだ。
下元は組合の大は追求しつつも、単に組合員の数を膨らませるだけでは、マイナスが大きいことを痛感していた。
そこで「増資積立金五㌫という爆弾を破裂させることで、不良分子を自然に取り除こう」とした。
つまり「彼らは引き上げを不服とし、自らコチアを去るであろう。しかし良質な組合員は残るであろう。五㌫といっても、これは購入した土地の支払いが終わるまでのことで、堪えられないことはない」と踏んでいた。
要するに組合員を篩(ふるい)にかけようとしたのである。
因みに、土地代支払い完了までに二、三年かかったと記録類にはある。一九五八年にコチアに就職した人の記憶では、その時は二㌫に戻っていたそうである。
この篩にかける狙いは、次の様な二次現象が起こっている事実からも鮮明になる。
スール・ブラジル農協の月報一九五六年一月号に、
「最近、組合加入者が急激に増えている状況に、どう対処すべきかを、役員会で協議した」
という一文がある。
「急に増えている」と記しながら、その背景には触れておらず、これが不自然である。
役員会の結論としては、
「入会については、当分厳重なる制限を加えることにした」
とある。
その理由として、「取引市場に於いて販売場所をこれ以上増やすことは易しくなく、バタタの保管用倉庫も二、三年で狭隘を感ずる見通し」
と、こちらは、やや詳しい。
右のバタタの保管用倉庫…云々は、急増している組合加入者がバタタ生産者つまりバタテイロであることを意味している。
コチアの組合員はバタテイロが多かった。従って彼らのかなりが、増資積立金五㌫に反撥して、スールへ乗り換えようとしていることを物語っている。
月報が「急に増えている」背景に触れていないのも、そのためであろう。こういう記事にコチアの名前は出し難くかったのだ。(つづく)









