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「日本移民の母」没後30年=ドナ・マルガリーダ、列聖への歩み=戦火を越えた愛の遺産残す《編集長コラム》

2026年3月24日

ドナ・マルガリーダの遺影が祀られた祭壇で説教をする尾島神父
説教をする尾島神父

 サンゴンサーロ教会に響く祈りの歌


 3月15日朝、サンパウロ市セントロ、サンゴンサーロ教会で「日本移民の母」ドナ・マルガリーダ(渡辺トミ・マルガリーダ)の没後30年記念ミサが執り行われた。祭壇に掲げられた遺影の中の彼女は、トレードマークの眼鏡の奥で、かつてと変わらぬ穏やかな、しかし全てを包み込むような強い眼差しを湛えていた。

 尾島記代治(おじま・きよはる)神父は「私たちは、マルガリーダの生涯とその働きに感謝しなければなりません。世界大戦中に敵性国民として虐げられた日本移民はポルトガル語も知らず、彼女が間に入って助けなければ、より悲惨な事態になっていた。中東で戦争が起きている今こそ、女性として果敢に救済活動に献身した彼女の生き方を思い起こす重要性が増している。彼女の貢献は日系社会だけにとどまるものではなく、ブラジル全体に利するものでした。それは宗教の働きそのものです」と静かに語りかけた。

 日本語の聖歌「いつくしみ深き」の調べが、集まった約80人の日系人たちの震える歌声とともに聖堂の隅々まで響き渡る。その光景は、単なる一人の先駆者への追悼を超え、「聖なる物語」が、新たな次元へと踏み出す転換点であることを強く予感させた。

 かつてブラジルの大地に慈愛の種を撒いた小柄な女性の足跡を、今、世界史の輝きの中へと繋ぎ直そうとする。その静かな、しかし確かなうねりが、この聖堂から再び始まりを告げた。


没後30年ミサのプログラム
没後30年ミサのプログラム

 戦火と差別の闇を照らした「慈愛の巨人」


 ドナ・マルガリーダの歩みを振り返ることは、ブラジル近代史における「受難と克服」の記憶を紐解くことに他ならない。1942年、ブラジルが枢軸国との国交を断絶した際、日本移民は「敵性国民」として過酷な状況に置かれた。主な日系農場や企業の資産は凍結され、公の場での日本語使用は禁じられ、日系社会リーダーらが次々と政治警察(DOPS)に拘束された。絶望が影を落とす中、彼女の献身は命懸けであった。

 1942年5月13日、彼女は「サンパウロ市カトリック日本人救済会」という名を盾にして、移民収容所に拘留された同胞のために80枚のセーターを差し入れた。本来、集会すら許されない時代にあって、これは当局の監視をかいくぐる機転と勇気が必要な行為だった。その裏には凄惨な代償もあった。

 ある時、彼女はDOPSに召喚され、5時間にわたって立ち放しのまま執拗な訊問を受けた。「その金はどこから出たのか」。威圧的な声に晒され続けた彼女は、釈放後、疲労のあまり自力で歩くことすらできなかった。自宅の階段を登れず、夫の儀平氏に抱きかかえられて家に入ったという逸話は、彼女の「隣人愛」がいかに血の通った、肉体的苦痛を伴うものであったかを物語っている。

 特筆すべきは、1943年7月の「サントス強制立ち退き事件」だ。わずか24時間で住処を追われた約6500人の日本人移民に対し、彼女は一週間も不眠不休で食料や衣服を手配した。この活動を支えたのは、サンパウロ大司教ドン・ジョゼー・ガスパール猊下だ。大司教は「カトリック婦人会が断っても、私個人が引き受ける」と、教会の名義で活動を保護し、バチカンからの送金を受け入れる口座の使用さえ許可した。


戦時中に日本移民を助けたドン・ジョゼー・ガスパール大司教
戦時中に日本移民を助けたドン・ジョゼー・ガスパール大司教

 さらに、主治医であったセレスチーノ・ボウロウ博士も、自身の家で奉公していた彼女の熱意に打たれ、移民への無料診療や投薬という形で医療面からこの活動を支えた。同救済会による救済実績は、1967年までに実に延べ6万1403人に及ぶ。孤児、病者、結核患者、そして行き場のない老人たち。彼女の行動は、単なる同胞への同情を超え、当時のカトリック教会をも動かした「普遍的なキリスト教的人道主義」の勝利であった。

 彼女が示した慈愛は、排外主義の闇を照らす確かな光として、ブラジルの大地に深く根を下ろしていった。


セレスチーノ・ボウロウ医師の孫、ルイス・フェルナンド・デ・モラエス・ボウロウさん(Luiz Fernando de Moraes Bourroul)
セレスチーノ・ボウロウ医師の孫、ルイス・フェルナンド・デ・モラエス・ボウロウさん(Luiz Fernando de Moraes Bourroul)


 「憩の園」に息づく清貧の魂


 彼女の情熱が「終の棲家」として結実したのが、1958年に創設された老人ホーム「憩の園」だ。「開拓者が人生の最後に憩う場所を」との願いから始まったこの園は、現在もブラジル福祉の良心として存続している。ドナ・マルガリーダは身長150センチに満たない小柄な女性であったが、90歳で一線を退いてからも自らこの園に入園し、一入園者として他の人々と生活を共にした。

 この「清貧」と「奉仕」の精神は、驚くべき形で後継者たちに引き継がれている。かつて事務局長を務めた二世の吉安園子さんは、2022年に亡くなる直前、驚くべき遺産を救済会に遺した。彼女が高くない給与から生涯をかけて蓄えた97万レアル(約2900万円)を、全額寄付したのだ。

 自らの生活を削り、一銭も無駄にせず貯め続けたこの巨額の寄付は、ドナ・マルガリーダから園子さんが受け取った「愛のバトン」そのものであった。


救済会の本田イズム会長
救済会の本田イズム会長

 ミサの後の懇親会で、「憩の園」を運営する救済会の本田イズム会長は、現在の「憩の園」は、経済的な荒波の中にあり、110人の職員で70人の入園者を支えるという、経営的には極めて困難な舵取りを迫られていると語った。入園待機者は現在213人に上り、支援を求める声は今も絶えない。

 しかし、本田会長は「資金が底を突き、絶望的な状況に陥るたびに、どこからともなく多額の寄付や支援が舞い込むんです。不思議な天からの助けのようです。それは、目に見える形での奇跡を超えた、ドナ・マルガリーダという魂が今もこの園の屋根を温かく守っていることの証左だと感じます」としみじみ述懐した。

 物質主義が支配する現代において、生涯を通じて「何も持たないがすべてを与える」生き方を貫いた彼女の精神は、今や日系社会という枠組みを越え、ブラジル社会全体の倫理的指針として再評価されている。何も持たない彼女の手が、今、目に見えない巨大な力となって、カトリック教会という巨大な歯車を動かし始めている。


奥原マリオさん
奥原マリオさん

 列聖への長い道のりと、再燃する情熱


 ドナ・マルガリーダを公式に「聖人」として認定しようという運動は、奥原マリオ純さんの働きかけにより、今から10年以上前、著名な法学者イヴェス・ガンドラ・マルチンス氏の提言によって産声を上げた。氏は彼女の息子マリオ氏の学友であり、学生時代から彼女の徳高い人柄に触れてきた一人だ。

 マルチンス氏は提言をした当時から、「ドナ・マルガリーダの活動はブラジル近代史の一部であり、列聖に値する」と断言し、法学者の視点からその歴史的価値を訴え続けてきた。

 奥原さんは懇親会で「本日はとても重要な日、ドナ・マルガリーダの生涯と業績を祝う日にあたり、彼女は今も、ここにいる私たち一人ひとりの中に生きています」と胸に手を置いた。

 さらに「彼女は第2次世界大戦の時代において非常に重要な人物であり、サントスから追放された人々や、当時の弾圧によって迫害された人々を助けました。また、孤児や高齢者、結核患者を支援し、その後、聖母婦人会を設立し、さらに憩の園を創設し、今も続いています。そのような彼女の活動は、深い信仰と慈悲深い精神性に根ざしたものでした。ここにいる後継者たちによって、今もその慈善活動が存続していること自体が、その証と言えます」と奥原さんは語った。

 没後20年を機に発足した聖人申請を進める委員会には、強力な助っ人が加わった。これまでに2度の列聖を成功させてきた「専門家」、セリア・カドリン修道女(故人)だ。彼女は、ブラジル初の聖人フレイ・ガルボンやマドレ・パウリーナの申請を主導した人物で、当時、ドナ・マルガリーダについても「十分な可能性がある」と力強い後押しをした。

 最近、この動きは新たな局面を迎えた。奥原さんは、グアルーリョス教区での会議において、教区長(ビスポ)から列聖申請に向けた前向きなシグナルが発せられたという喜びの報告をした。

 これは、地道な署名活動や資料収集という地域社会の熱意が、ついに教会の公式な手続きへと昇華されたことを意味する。列聖というプロセスは、日系移民がブラジルの地で耐え忍んだ苦難の歴史を、バチカンが「世界史」の一部として公認することを意味する。

 それは「日系移民の精神的な帰化」の完了とも言える歴史的な出来事だ。一人の日本人女性の生涯が、キリスト教の普遍的な聖性として認められる時、日系社会の歴史はブラジル、そして世界の精神史に永久に刻まれることになる。


晩年のドナ・マルガリーダ
晩年のドナ・マルガリーダ

 天国への階段――次なるステップと未来


 バチカンにおける「聖人」への道は、峻険な山を登るような果てしない旅だ。プロセスは大きく分けて3段階あり、現在は第1段階の「教区フェーズ」にある。この段階で最も重要なのは、超自然的な「奇跡」の認定よりも、その人物が福音にかなった「英雄的徳」を備えていたかどうかだ。現在、委員会では55人の証言者を確保し、彼女の支援活動、精神性、そして彼女を通じて得られた「恵み」についての証言を文書化する作業を進めている。

 ここでいう「恵み」とは、信徒たちが彼女に祈りを捧げた際に感じた心の平安や、不可思議な出来事を指す。例えば、彼女の孫娘であるアンドレアさんが、ドナ・マルガリーダが亡くなる直前に感じたという「花の香り(香気)」のエピソードは、カトリックにおいて聖性の予兆とされる重要な証言の一つである。調査が進めば「神の僕」、続いて「尊者」という称号が与えられる。

 さらに一つ目の奇跡が認定されれば「福者」、二つ目の奇跡をもってようやく「聖人」へと至る。認定までには最低でも20年以上の歳月を要するとされ、現世代がその結末を見届けることは叶わないかもしれない。

 しかし、運動を推進する人々は、その「時間」こそが重要であると説く。「結果としての認定も大切だが、この過程を通じて私たち自身の生き方を見つめ直すこと、それ自体がすでに一つの奇跡である」との考え方だ。地道な書類整備という作業は、彼女が遺した目に見えない「慈愛の貯金」を掘り起こし、未来へと繋ぐ聖なる儀式に他ならない。


 ブラジルに根付いた、日本の面影を持つ聖母


 ミサの終わり、参列者たちは「マリア様の心」を合唱した。歌声が止み、サンゴンサーロ教会の外に出ると、サンパウロの空は歌詞にある通り、抜けるような「あおぞら」に包まれていた。参列した日系人たちの表情は一様に晴れやかで、その瞳にはドナ・マルガリーダが遺した「愛の灯火」が静かに、しかし熱く宿っているように見えた。

 鹿児島県枕崎に生まれ、家を助けるために異国の土となった一人の少女。彼女がブラジルで体現した慈愛は、日本的な自己犠牲の精神とカトリックの隣人愛が見事に融け合った、人類普遍の光であった。その光は今、日系社会という特定の共同体を超え、苦難の中にあるすべての人々を照らす「世界の聖人」への階段を登り始めている。列聖への道のりはまだ始まったばかりだ。

 ブラジルに根付き、日本の面影を宿した聖母の物語は、これからも多くの人々の心の中で、終わることのない「希望の賛歌」として響き続けていくに違いない。(深沢正雪)


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