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県連ふるさと巡り北パラナ編=活気ある伝統的な日系社会(4)=参加者の語る戦後移民人生《マリンガ》

2026年4月17日

高根静江さんと富士雄さん
高根静江さんと富士雄さん

 3月28日朝、ホテルの朝食会場。やわらかな陽光が差し込むなか、ミナス州ベロオリゾンテから参加した高根静江さん(72歳・神奈川県)に声をかけると、穏やかな笑みが返ってきた。「赤土の色が、どこか特別に感じられますね。2世の理事の方なのに、日本人のように流暢な日本語を話されていて、『家では日本語で子どもを育てた』と聞いて驚きました」。

 そう語る表情には、この地で息づく日本語への思いに触れた喜びがにじむ。「ベロに比べて、ここは治安も落ち着いているように感じます」と、旅先での安心感にも言及した。

 静江さんは、神奈川県茅ヶ崎市で「国際女子研修センター」を設立し、南米移民の若者に日本の花嫁を紹介する活動を30年以上にわたり続けてきた小南ミヨ子さんに同行し、1982年に初めてブラジルの地を踏んだ。「そのときは〝鞄持ち〟としてついて来ただけで、結婚するつもりなんてなかったんですよ」と、いたずらっぽく笑う。

 だが現地で、のちに夫となる富士雄さん(78歳・長崎県)と出会い、人生は思いがけない方向へと動き出した。「気がついたら結婚していました」。そう語る声には、長い歳月をともに歩んできた確かな温もりが宿る。いまでは夫婦で各地を旅するのが楽しみだといい、「あちこち見て回って、本当に幸せです」と静かに目を細めた。

 一方の富士雄さんは、どこか風来坊の面影を残す。21歳のころ、横浜国立大学の夜学に通っていたが、学生運動の影響で授業が中止となり、「片道切符と200ドルだけを持って、ふらりと世界に出たんです」と振り返る。デンマークなどで働きながら放浪を続けた末、1970年、NHKの短波放送で思いがけない知らせを耳にした。数年間音信不通だった兄が、ブラジル・ミナス州で農業に成功しているというのだ。「それを聞いて、いても立ってもいられなくなって」。現地を訪ね、気に入り、そのまま根を下ろした。

 「兄は日本で公務員をしていたのに辞めて、19歳でブラジルへ渡った人でした。当時、私はまだ14歳。8年ぶりに再会したとき、兄の第一声は『お前は誰だ!』でしたよ」。長い旅路で髭をたくわえ、すっかり風貌が変わっていたという。そう語り、大きく笑う姿に、戦後移民のたくましさがにじむ。兄弟はその後、造園などの仕事をともに手がけ、生計を立ててきた。

 これまで数多くの地を訪れてきた富士雄さんに、印象に残る旅先を尋ねると、意外にもブラジル最北部ロライマ州ボア・ヴィスタの名が挙がった。「10数年前に行きましたが、当時はベネズエラからの人もほとんどおらず、先住民が多く暮らす、静かでのどかな町でした。治安も良かったですね」。若い頃は予約もせず、行き当たりばったりの旅を楽しんできたが、「今はこうしたツアーのように、すべて整えてもらえる方がいい」と言って、静江さんと顔を見合わせ、笑みを交わした。(続く、深沢正雪記者)




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