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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(222)

2025年8月9日


午後三時頃だった。その草の中から突如、銃声が響き、熱いモノが福島をかすめて走った。馬が驚いて暴走、福島はそのまま稗田家へ走り、異変を知らせた。

息子たちが馬で現場に駆けつけると、道の中央の砂地に、鶴吉は倒れて死んでいた。弾は一発が右首筋から左耳の後ろに抜けており、もう一発が、右こみかめにトドメを刺すように撃ち込まれていた。

現場は道の曲がり角で、草の内部を折り敷き、数人が入れる場所をつくり、覗き穴を二つ作ってあった。下には煙草の吸殻が多数落ちていた。

狙撃者、不明。

この事件に関しては、鶴吉の次男長之(たてゆき)が二〇一〇年現在、スザノに健在であることが判り、筆者は訪問して話を聞いた。八十歳を幾つか超していた。事件が起きた時は二十歳位だったことになる。

鶴吉が狙撃された原因について、長之はこう語る。

「戦時中、ウチはポルトガル語の新聞をとっており、日本の戦況に関する記事を読んでいて、終戦時に敗戦を認識した。

事件が起こる前、父は臣道連盟の集りに出席したが、帰ってきて『ああいう団体には入れない』と言っていた。以後は戦争の勝敗問題では中立だった。

それで向こうから、スパイを働いたと疑われ、撃たれたのではないか。それと戦時中、ウチは(養蚕用の)桑の苗も販売していた。国賊と見做されていたかもしれない」

同じ栄拓植民地にいた鳴海忠夫(前出)は二〇一〇年、筆者に、「鶴吉さんの事件は、戦争の勝敗問題には関係なかったと思う」と話している。

また、

「狙われたのは、敗戦派だった福島さんで、稗田さんは、その巻き添えになった。皆、そう言っていた」

という声もある。

当時、近くに住んでいたという人の筆者への話である。


オズヴァルド・クルース暴動


地方に於ける襲撃事件が続く中、派生的に、異様な暴動が発生した。

それは七月末から八月初めにオズヴァルド・クルースで起きた。

この暴動は、数千の住民が暴徒と化して日系人を襲い続け、一人が殺され、五十人が重軽傷を負った━━ということになっている。

この町では少し前、前記の爆破・放火事件が起き、住民が、

「シンドウ・レンメイのテロが、ここでも始まった」

と神経を尖らせていた。

そうした中、七月三十日の夜、町のバールで、日系と非日系の運転手二人が口論、乱闘となり組み敷かれた日系が相手を刃物で刺し殺した。

二人はその日、仕事中に狭い道で、貨物自動車同士で行き合い、道を譲れ、譲らないでひと悶着起こしていた。夕刻、仕事を終えた後、またバールでバッタリ出会い、争いを蒸し返した。

その口論中、非日系が、

「ジャポネースは敗戦を弁えず妄動している」

と揶揄し始めた。

これに日系の方がカッとなって反論、結局、命のやりとりなってしまった。

事件はたちまち町中に知れ渡り、大騒ぎとなった。

その日系の運転手は間もなく警官に逮捕されたが、群衆が署に押し寄せ、リンチを叫んだ。

これは署長の説得で、夜中過ぎの三十一日の午前二時頃、鎮静した。

が、夜が明け、八時頃、町の別のバールで客(非日系)が、昨夕の事件を話題にして興奮していた。

すると日系の店主が、

「ブラジル人の三人や五人がなんだ。俺は臣道連盟だ。人殺しが恐ろしくてどうする」

とタンカを切った。

これが、彼らを怒らせた。

一方、別の所で地免三一という連盟員が、住民たち(非日系)と昨夜のことを話している内、

「間もなく俺たちがお前らをマンダする時が来る」

と放言した。

これに憤激した数人が襲い掛かった。地免は重傷を負った。

この二件が火をつけた形となり、多数の住民が暴徒化、口々に、

「ジャポネースをやっつけろ」

「シンドーを殺せ」

と叫びながら、こん棒や斧、刃物を手に、日系の商店や住宅を襲い始めた。

暴動は八月一日、二日と続き、ツッパンから軍隊が一個小隊、出動、警備に当たるに及んで、漸く鎮静した。

以上の詳細については、爆破事件の被害者阿部豊が記録を残しているが、その中には、次の様な部分がある。(つづく)


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