ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(221)
最後に、執政官は出席者に、ポルトガル語で書いた議事録への署名を求めた。が、その中に「日本が無条件降伏したことを認める」という字句があったため、猛烈な反発と削除を求める声が挙がった。執政官はやむなく、それに応じた。
州政府各長官、軍・警察の代表者、日本の権益代表国スエーデンの公使、カトリックの大司教まで立ち合っての集会であったが、効果はなかった。
説得は空転した。
執政官はDOPSからの報告で、襲撃事件を起こしているのは臣道連盟だと思い込んでおり、それを止めるよう説得した。が、連盟員たちは、その襲撃に心当たりがなかったため、日本の勝敗に関する私見を主張、話はすれ違ってしまったのである。
執政官も状況を誤認していたのだ。
ただ、署名を求めた議事録の中に「日本が無条件降伏したことを認める」という字句があったという点は、不審を覚えさせる。
そういうことをして、戦勝派を刺激するよりも「勝敗問題の解決は先に延ばし、和を図る」様に求め、大政幸子の提言の実現を図るべきであったろう。
既述した米国の影が、ここでもちらつく。執政官は、その議事録を総領事館にでも見せ、臣道連盟を始めとする戦勝派が敗戦を認めたことの証しにするつもりだったのではないか━━という疑いが沸く。
ここでも拷問
この項は猪俣嘉雄著『空白のブラジル移民史』による。
右の州政庁の集会の出席者の中に、平藤慶治というバストスの臣道連盟員がいた。北海道出身で三十六歳、農業者だった。連盟に参加して間もなかった。
七月十七日、地元の敗戦派から「州統領が…(略)…臣道連盟を合法的団体として認証することに努力する意向である。その懇談を…(略)…行うから」と言われ、サンパウロに向かった。(州統領は州執政官の間違い) 州で一番エライ人の招きである。汽車の中では、幾度かネクタイの結び目に手をやった。戻ったら臣連支部の再建をやるつもりだった。
サンパウロでは、邦人の旅館に泊まり、当日、政庁に向かった。
議事録の無条件降伏の文字の削除で騒然とした時、彼は執政官のすぐ前に立っていた。
傍らから、
「無条件降伏の文字を削ってください!」
と腹の底から振り絞るような声が上がった。その時、平藤は、
「そうだ!」
と叫んだ。
自然、目立ったであろう。
平藤は集会後、旅館に帰った。が、そこでDOPSの刑事に拘束・連行され、拷問を受けている。以下、平藤が書き残した記録である。
「…(略)…警察の地下室に連れ込まれた。いきなり背後から突き倒されコンクリートの床に叩きつけられた。…(略)…両手首はガッチリと鉄の輪に締め付けられていた。
指先の爪と肉の間にゆっくりと針がつき通された。脳天から足の先まで火のかたまりが走り、全身が棒の様に硬直した。
『殺せ! 殺してくれ』
と何度も叫んだが、黒々とした影は何も答えなかった。…(略)…そのうちに意識を失った。…(略)…とにかく寒かった。悪寒が全身を襲っていた。いつ失禁したのか下半身はすっかり濡れていた。…(略)…」
合法的団体として認証どころの話ではなかったのである。
その夜、集会出席者七人が逮捕されていた。
平藤以外も、爪の間に針を突き刺されたり、苦悶の絶叫を上げたりした。しかも釈放されることなく、数カ月後、アンシエッタへ送られることになる。
執政官に盾突いたことに対するDOPSの報復であったろう。
事件、止まず
州政庁での集会の翌二十日、前記のブラウーナで敗戦派の斎藤ミネジ、渡辺タダオが襲撃され負傷。
襲撃者はカメヅキ・タダオということになっているが、詳細は不明。
二十三日、バストスの西北二〇㌔のオズヴァルド・クルースで敗戦派の阿部豊宅の床下で、爆発物が破裂した。負傷者は出なかった。
同時刻、同地で、やはり敗戦派の鈴木出世宅が放火された。が、大事にはならなかった。
いずれも襲撃者は不明だった。
同日、バストスのカスカッタ区で、住民の梶原武男が闇の中で狙撃された。被害はなかった。
三十日、ブラウーナの栄拓植民地の稗田鶴吉が銃殺された。
当日、鶴吉は福島という友人と、ブラウーナに隣接するサン・マルチーニョという開拓地に住む知人宅を訪れた。
その帰途、二人は馬で牧場地帯を歩いていた。周囲には、人間の背丈より遥かに高い草が繁っていた。(つづく)