ぶらじる俳壇=161=伊那宏撰
セザリオ・ランジェ 井上一栄
たっぷりときな粉をつけて蓬餅
〔早春、土手の草々に先んじて芽吹いてくる蓬を摘んで蓬餅を作り、それに砂糖と少々の塩を利かした黄な粉を振りかけて食べた幼年期の記憶が、ふっと甦った。父と母がいて、姉や弟たちもいて、皆で囲んで食べた春浅き頃の記憶。ブラジルの山野には蓬草はないと決めていたので、幼き頃の記憶は我が脳裏に封印されたままになっていた。ふとしたきっかけが記憶をよみがえらせてくれる。この〈たっぷりと〉というふくよかな響きの言葉に出会わなかったら、私の蓬餅の記憶は勇躍と甦ってくることはなかったであろう。生きた言葉との出会い。それは感動を生み出す源泉と言える〕
蜂鳥の空中ダンス見てあかず
雨降らぬ土は硬しや畑を打つ
父の日や自慢の手料理並ぶ卓
サンパウロ 平間浩二
春眠や覚めてうつらの夢の中
一病を包み封じて春を待つ
〔〈一病を包み封じて〉とは、季節や年齢などからくるいわゆる持病と呼ばれるものや治療の難しい病など、自らコントロールして耐え忍んでいる様を言われているのであろう。特に冬場はその症状も厳しいもので、暖かい春が来るのが待ち遠しい――そんな心境を詠まれた句であると拝見した。本句は、生きることの厳しさと同時に素晴らしさをも言わんとしており、人生に真摯に立ち向かおうとしている作者の姿勢は、何ものにも替え難い尊いものだ。俗に「一病息災」とも言われ、むしろそれに徹する心構えが肝要であろうか。作者の息災を祈りたい〕
春眠や目覚めてよりの深眠
サンパウロ 石井かず枝
手をとりて散歩快適春の朝
孫相手の百人一首や春うらら
春告げる鳥の甲高耳慣れて
マナウス 大槻京子
春の野辺われ一人聞く挽歌かな
老いてなほ試練たまはふ春の夜
アマゾンと永久の別れや鳥雲に
イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑嵩
早朝の道に散りしく春落葉
春雷を遠きに聞きてまどろみぬ
山峡の流れに沿うて竹の秋
イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑泰子
馬の子は母の手かりずすくと立ち
春の雨降るや降らずや音も無し
春の雷ものみな育てと音やさし
サンパウロ 串間いつえ
朝サビア遠くにカッフェ入れる幸
持て余す孤独の欠片春深し
〔俳句における新しい表現は他の文芸ともにつねに不可欠な要素である。この〈孤独の欠片〉という現代風の言葉遣い自体は、詩の世界では目にすることもあるが、俳句の世界特に伝統俳句では一種の冒険性が伴う。個性的過ぎるというのが理由となろう。然し、俳句を詩として見た場合は、言葉の選択に制約があってはならない。孤独を持て余すことは誰にもある。が、孤独の欠片ないしは破片となると抽象性を帯びるので抵抗感を持たれる人もいよう。この一句、今までの作者にない表現であって「おっ」と思わせられた。新境地開拓?作者に新たな扉が開かれたと思いたい〕
朝寝して不本意ながらカッフェ無し
サンパウロ 馬場園かね
故郷の話へとんで実梅もぐ
燒山へ汽笛鋭く昇り来し
末席へ野点の一服若葉風
サンパウロ 太田映子
君逝きて旅した街は木の芽時
太陽の恵み味わひ青き踏む
水草生雨(みずくさおう)流れにまかせ 舞うワルツ
春の宵君がなぞるか生命線(別稿より)
木々の葉に涙のような露光る(〃)
麻州ファッチマ・ド・スール 那須千草
春一番クリカカの雛巣より落下
釣堀に趣味の魚釣り今日も又
初成りのモロキュウ食べてホンワカと
サンパウロ 大野宏江
春の宿おしぼり添へておもてなし
紫のスカーフ巻きて春の朝
春待ちてテニス新調身も軽く
サンパウロ 林とみ代
春雨や窓叩く音静かなる
鳴き砂を踏む感触や春の浜
〔素足で浜辺の砂を踏むとそこはかとなく〝鳴く〟音がする。それを〈鳴き砂〉というのであろう初めてお目にかかる言葉である。足裏にかかる体の重みが生み出す音で、言わばそれに耐えんとする砂の泣き(鳴き)声とでも言えよう。春の浜、それも早朝の人出のない時刻。一人浜辺を散策する街住まいの作者にとって、かけがえのない静かな時間。寄せる波の音と砂を踏む音のみが耳朶に触る。煩瑣な日々をしばし忘れ、そこに静かでやさしい一句が生れ出る。春の浜なればこそである〕
晩春の海に灯りぬ漁火かな
ポンペイア 須賀吐句志
行く春や涙のもろさ私事に増え
春の空流れるばかり句が出来ず
春灯に役職引いて持て余す
日本 三宅昭子
ワクチンの口内戦争春の風邪
雨繁く街霞みつつ春惜む
晩春や雨粒数え季を移す
サンパウロ 山岡秋雄
花マナカ山脈出でて都市に咲く
俳句植ゑ九十八年念腹忌
海の日やイーリャベーラに船の旅
サンタ・フェ・ド・スール 富岡絹子
朝焼けの空駆けめぐる百千鳥
二度と来ぬ今日という日の春惜しむ
デートする鳥そこかしこ春惜しむ
サンパウロ 谷岡よう子
友よりの絵文字で届く花便り
窓越しの春光浴びて元気出し
ボカイナ歴史街道春の旅
ヴィトリア 大内和美
笑顔まきポンポコたたく西瓜売り
汗かきと小言いう母もう居ない
汗とばしかけてくる子を抱きあげて
ヴィトリア 藤井美智子
早世の吾娘今いくつ墓参る
父母や娘の往時を偲び墓あらふ
霊園や生花造花の墓参道
モジ・ダス・クルーゼス 浅海護也
行く春やブラジルに勝つ日本サッカー
初雷や国の首相に女性立つ
〔日本に初の女性宰相、初雷の如き話題を呼んだニュースであった。高市早苗。過去二回立候補したが苦杯をなめた。三回目の正直でやっと…。いや執念と言える。元来俳句は抒情(叙情)性を旨としている。叙事俳句は無味乾燥になり易い故敬遠されがちだが、話題次第で読者の目を引く。しかし、話題が忘れ去られた時点でその句は生命力を失う。文芸作品が一過性のものであっては詰まらないと考える人にはお勧めではないが、作品の歴史的意味やトピック性を求めるという観点から、決して否定するものではない。これは各々の俳句観の問題となろう〕
花吹雪これぞ日本魂ゆるる
モジ・ダス・クルーゼス 浅海喜世子
喜雨の打つ野菜畑の傷みたり
穀物の生産いかに冷夏なり
目のレンズ早き入れ替え春寒し
ベレン 渡辺悦子
齢重ね月日素朴や喜雨続く
いきなりの喜雨に驚く猫寄り来
目の前の新装白壁喜雨の中
ベレン 岩永節子
ポツポツと草木の息吹き乾季尽
スカーフや風がいざなうビルの角
俯いて静と雅のビウビーニヤ
ベレン 鎌田ローザ
夕喜雨のキラキラ窓辺涼しけり
カランコエ色賑やかの花市場
鮮やかに吉報ありしカランコエ
ベレン 諸富香代子
帰伯義姉乾物土産喜雨来たる
笑顔大アサイー、バクリにマニソーバと
介護せし父母と義父母の魂祭
パラー州パラゴミナス 竹下澄子
夫眠る異国に迎ゆ魂祭り
喜雨どっと両手に受ける農婦かな
〔〈喜雨どっと〉という表現からしてかなり激しい雨であったろう。乾季が続いた後の雨は多少にかかわらず嬉しいものだ。ましてや受けた両掌に〈どっと〉と溢れるほどの大雨、さしずめ村中あげての大歓声と言ったところか。本句〈農婦かな〉としたのは作者ご自身のことと思われる。白寿間近の作者が自らを〈農婦〉と称している。「えっ?」と思いつも「たとえ老いても農婦は農婦」、そこには作者の移民としての強い自負心が感じられ、少なからぬ感動を覚えたのは筆者だけか〕
日本文字夫の墓標の墓参る
サンパウロ 吉田しのぶ
亡き夫が始祖となりたる展墓の日
バウルーのネンプク通り炎天下
開拓の豊作貧乏トマテ畑
竹ひごで身を削ぐ旬のマンジュウバ
山荘の谷のせせらぎ飛ぶ蛍
サンパウロ 森川玲子
朝の五時鳥の声聞く明け易し
昼顔咲く野をのそのそとプレギッサ
葱刻みにんにくつぶし初がつお
ぬるま湯に浸し手洗ひ更衣
道ふさぐ三頭の牛雲の峰
〔たぶんこの〈道〉は平原を貫くアスファルト。付近の耕地から逃げ出した三頭の牛が道を塞いで歩いている。折しも何台かの自動車がクラクションを鳴らし鈍行を強いられている。ブラジルの大地そちこちで時に見かけるのどかな光景だ。アスファルトの行く先には入道雲(雲の峰)が高く盛り上がり、眼下の光景を睥睨するかのように見下ろしている。緑の原野と一本の道、そこに牛三頭。この単調な光景には〈雲の峰〉がよく似合う。いや、雲の峰以外になかったであろう。この季語がこの一句を生んだと言える。それにしても何と大胆な構図が描き出されたことか〕
読者文芸
ロンドリーナ親和川柳会(8月)
課題「姿見」
かがみ見てシワ数えるかと大笑い 福田広子
姿見に写る嫌いな怒り肩 久保久子
正直なかがみと縁を切りたいね 高橋和子
びっくりだ鏡は無言の注意人 平間輝美
鏡の顔良くも悪くも我が名刺 竹内良平
裏の顔までは姿見映さない 今立帰
痩せた身の鏡のわれにご苦労さん 鈴木甘雨
サンパウロ新生吟社(8月)
課題「天」
天運を賭けて踏み出す第一歩 今立帰
退院日まっ先見上げた天空を 大塚弥生
待ちわびて天気気にする句会かな 甲賀さくら
天と地があるから人は生きられる 比嘉洋子
天の父私を呼ぶ日いつですか 堀江渚
ブラジルに根付き天空に咲く桜 早川量通
天職と決めて気楽な呑百姓 青井万賀
月曜俳句会(8月)
移民碑をたたえる如く囀れる 須賀吐句志
冬日和淡き日の色風に舞う 岩本洋子
娘の家に移ると決めて竹の秋 富岡絹子
佳子様の微笑みの旅紅イッペー 浅海喜世子
移民の子故郷はここ花コーヒー 脇山千寿子
春寒しドレスの犬と散歩して 鹿島和江
花珈琲赤い実となる夢がある 作野敏子
春寒し老の身何ともどかしく 白石幸子
夜の不眠昼の春眠むさぼりぬ 近藤佐代子
春浅しあるがまま生き悔いはなし 高木みよ子
晩鐘に沈む山河や春浅し 浅海護也
枯菊の鉢ごと捨ててありしかな 前田昌弘
起伏しの幾たび春眠ままならず 竹下澄子
寒明けの大河濃紺光らせて 渡辺悦子
全山を包む香りや花珈琲 伊那宏
モジダスクルーゼス俳句会(11月)
紅差せば我若がえる夏帽子 壇正子
雨後の畑見回る背へ雷遠く 村上士郎
雲海を潜りて着陸間近なり 大石喜久江
冴え返る胸ふくらます家雀 尾場瀬美鈴
金鳳花散り染む墓苑に風の跡 松本留美子
蜂鳥の軽き羽ばたき浮きし如 田辺鳴海
慈雨浸みる旱続きの大地かな 秋吉功
熟年クラブ俳句教室(10月)
藤色の絹のスカーフ春惜しむ 森川玲子
ひそひそと謝礼の話教師の日 森川玲子
朝露に濡れた牧場の春の泥 蔵所和弘
鉢一杯威風堂々春の蘭 蔵所和弘
「先生の日」これ一筋に功労賞 大野宏江
今年又幸せ運ぶ春の蘭 大野宏江
よなよなと母の後追う雀の子 松田とし子
春風や思い出したるわらべ歌 松田とし子
想い出す愛情くれた先生の日 梅津朝代
花鳥は花から花へ春を呼ぶ 梅津朝代
心から先生の日は感謝の日 中原イベッテ
田舎道母と歩いた春の闇 中原イベッテ
雀の子口ばし開けて母を待つ 階籐百代
伴奏に合わせて歌う春の歌 階籐百代
先生の日いつも笑顔でありがとう 平井恵子
巣作りに日夜はげむや母雀 平井恵子
大会の絶えて久しや念腹忌 吉田しのぶ
みなし児に慈愛の眼教師の日 吉田しのぶ
熟年クラブ俳句教室(11月)
夏山を歩く古びたテニス靴 森川玲子
旅先の聖堂に寄る日の盛り 森川玲子
耐えがたき異常気象よ日の盛り 伊藤きみ子
うっそうと葉擦れの音も登山道 伊藤きみ子
日盛りの水分補給いのち水 蔵所和弘
短夜の眠りの浅き朝迎え 蔵所和弘
帰宅して金魚に聞くや留守の事 大野宏江
バナナ盛りたたき売られて客を待つ 大野宏江
山登り夏の山小屋雲の上 平井恵子
今想う母の教えや墓参る 平井恵子
親想う家族はひとつ墓参る 梅津朝代
短夜を月に照らされ星流る 梅津朝代
悩みごと聞くわが友は金魚かな 松田とし子
日盛りや一口の水生き返る 松田とし子
労働の疲れ金魚に癒される 中原イベッテ
日盛りに今日も働く労働者 中原イベッテ
振り向けば遠くになった夏の山 皆藤百代
短夜やぼやぼやしたら朝が来る 皆藤百代
枕辺の通夜の灯明け易し 吉田しのぶ
亡き夫が始祖となりたる展墓の 吉田しのぶ








