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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(385)

2026年4月21日


 銀行側が、それに素直に従わず、懸命に抵抗したのである。

 が、強行した人間がいた。情報通は、こう明かす。

 「それが中銀のマウシである。典型的なガウーショで、短期間に赫赫たる戦果を上げ、更なる地位と権力を求めようとした…」

 なるほど、そう言われると、見えてくるものがある。

 大切開手術の最中「現在二百五十五ある銀行は、二〇〇〇年に百二十に減る」という記事が新聞に出たことがある。

 どうして、そこまで具体的な時期や数まで予測できたのであろうか。

 しかも、この予測は当たるのである。

 ということは、その数と時期を知っている誰かが居て、そこから漏れたのだ。

 誰かとは誰か?

 考えられるのは、大切開手術に取組んでいた中銀の担当理事か、その周辺しかない。

 しかし彼らも、そんな具体的な時期や数まで見通せる筈はない。では、どういう根拠から、この二〇〇〇、百二十を割り出したのか。

 実は、彼らが「中堅銀行など要らない」とコメントしたことがある。

 以下は推定だが、彼らは「二〇〇〇年までに百二十行に減る」のではなく「減らす」と企てていたのだ。

 「自分達が望む時期までに、残そうと思う銀行だけを残せば、そういう数になる」という程度の算出の仕方であったろう。

 減らす大義名分は、どうするか? 監査で何かネタを掴み、さらに再監査で、それを徹底的に調べ上げれば、ボロが出るであろう。

 当時「中銀は特別監査のためのスタッフを、三〇〇人ほど再訓練して、銀行界に放った」と報道されている。放った…と。

 彼らは狙った銀行を、次々追い込んで行った。

 不正を抉りだしたり、事実上の破産を裏付けるデータを探りだしたりして、相手に突き付けたこともある。

 南銀の場合は、たいした隙はなく、攻め難かったろう。そういう敵を攻めるには、古来、奇襲に勝る戦法はない。

 奇襲であった事を臭わせるのが、南銀を攻める過程で漂った幾つもの不自然さである。

 まず一九九七年の三月から六月までの監査の折、問題ある債権の存在には、簡単に気づいた筈である。その時「十分な抵当があっても、貸倒引当金を積まねばならない」という方針を中銀がとっていたのならば、南銀側に改善勧告をし、それを実行する時間を与えるのが当然である。

 ところが、それをしないで十月になって、改めて突然、再度の監査を行い、問題ある債権へ貸倒引当金を積むことを、一方的に要求している。明確な規定もないのに…。

 同時に、BIS規制を突きつけ、現実には不可能と判っている巨額増資をせよ、できなければ、合併(実際は身売り)をせよ──と迫っている。

 これは、始めから、そこ…つまり身売りに結論を持って行こうとしていたとしか考えられない。

 さらに中銀を訪れた南銀の社長、副社長に、非礼にも高飛車に出、

 「増資か合併か、一カ月以内に決定、その後一カ月以内に実行せよ」

 と期限を切ったのも、愈々奇怪である。

 本来なら、高飛車に出たり短期に期限を切ったりする必要はないからである。

 奇襲は、相手に息をする暇も与えぬほど攻めまくるのがコツである。

 対して南銀側は、直前まで消される標的に含まれていることに気づいていなかった。他の銀行が次々消されていたのだから、警戒すべきであったのだが…。

 因みに、既述の身売りに追い込まれた準大手レアルの場合も、やはり中銀の監査が突然入り、一〇〇人位の監査官が急襲した──という。

 

 城の内側

 

 ところで、奇襲時、南銀の城の内側は、どうなっていたのだろうか。──

 前記の経緯を、後から知ったある日系進出銀行の幹部は、

 「筆頭株主の富士銀行を動かすために、もっと必死の交渉をすべきだった。南銀のトップが直接、日本へ乗り込んで命がけのところを見せるべきだった。

 富士も難しい時期に在ったとはいえ、南銀が必要とした二億や三億㌦は、なんとかならぬ額ではなく、その気になれば、都合がついた筈。

 出資が無理なら融資として持ち込み、増資に使用する方法があり、資金は日本で調達できなくとも、米国から持ってくることができた」

 と指摘したという。

 無論、これも富士の内部に「南銀のためなら、ひと肌脱ごう!」と、奔走してくれる実力者が居なければ駄目である。

 そういう人間は、普段から作っておかねばならない。そのためには、しかるべき役員が定期的に訪日しておく必要がある。

 橘は、それをやっていた。が、すでに故人になっていた。(つづく)


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