「時代の寵児」になり損ねたドリア

ジョアン・ドリア前聖州知事が民主社会党(PSDB)の大統領候補を辞退した。2016年に実業界から華々しく政界に進出した同氏にとって、大きな挫折となった。
6年前の聖市市長選で、前任のフェルナンド・ハダジ氏を一次選挙で破って圧勝してしばらくのフィーバーは「次期大統領」を思わせるものだった。あの当時はまだボルソナロ氏の台頭も一部に限られたもので、メディアの注目はドリア氏に集まっていた。「実業家から転身」の点で、当時米国大統領に就任して間もなかったドナルド・トランプ氏とも比較されていたものだった。今となっては懐かしい話だ。
今回の件について、選挙権のある妻の一言が印象的だったので紹介させて欲しい。彼女はまさに2016年の際にドリア氏に票を入れていたが、「2つの理由で、彼は私の票を失った」と語っている。
ひとつは「任期も終えずに市長の座を降りた」こと。この点に関して伯国民はかなり厳しい。二期目でそれをやるのならともなく、1期目の任期も終えていないうちから、自分の立身出世を優先する姿は市民をバカにしているように映るという。
そして、もうひとつが「ボルソドリア」。彼女にとってはこれが決定的だったという。「ボルソドリア」はドリア氏が当選した2018年の聖州知事選の際に生まれた言葉だ。ドリア氏は選挙戦中、「大統領選でボルソナロ氏に投票する人はドリア氏にも投票を」と呼びかけた。この時の大統領選には、PSDB候補として、ドリア氏を政界に引っ張ってきた恩人のジェラウド・アウキミン氏が候補として出馬していた。ボルソナロ氏を好む、好まざるに関わらず、ドリア氏の行為は有権者に「恩師に背を向けた裏切り者」として映ってしまった。
さらにこの一件でドリア氏とアウキミン氏の師弟関係は完全に決裂。かねてから「企業家出身の鼻持ちならない政治素人」と党内の評判が芳しくなかったドリア氏は、PSDB党内(特に古株議員)の支持を失った。
「ボルソドリア」で聖州知事になった後のドリア氏は、ボルソナロ氏とコロナ対策や民主主義に関して意見を対立させるが、国民の反応は「所詮、ボルソドリアだろ」と冷ややかなもの。大統領選の支持率も3%程度と低調だった。PSDB党内でも、昨年11月の党内選挙こそ勝利したものの抵抗勢力には勝てず、今回の断念につながった。
これでドリア氏は当面の間、政治の役職を失ったことになる。復活するタイミングがあるとすれば「ボルソドリア」の記憶が薄れ、伯国内でコロナワクチンの接種を率先した実績を再評価されるときか。(陽)