《記者コラム》「ボルソナロは女王陛下になった」=PECが意味するのは権力移行?
410億レアルが今後半年間で投入される
憲法修正案PECカミカゼ(PEC Kamikaze、正式名称PEC15/2022、以後PEC15と略)が先週両院で緊急承認され、8月から410億レアルの各種緊急支援が国内経済に投入されることが決まった。その直前には商品流通サービス税(ICMS)の上限設定も、連邦議会の力業で行われた。
これらが意味することは色々ある。一般的には「ルーラ元大統領に支持率で大きく遅れをとっているボルソナロ大統領があせって、選挙直前にやってはいけない特定の支持層を利する政策、つまり実質的な選挙対策を、違法ギリギリのやり方で法律をかいくぐって緊急支援策として通した」と見られている。
それに一理あることはもちろんだ。だが、次の二つの視点からみると、さらに興味深い現象だと考えられる。
(1)「ボルソナロが英国女王陛下になった」――これはPEC15が施行されたことに関して、サンパウロ会計連邦検察庁の女性検事が表明したコメントだ。
この法案を作って議会工作を主導したのは、アルトゥール・リラ下院議長、および彼が率いるセントロン勢力だ。大統領が大声でいくら叫んでも法案は通らないが、下院議長がその気になれば通る実態が浮かび上がる。
つまり、実質的な権力は下院議長が握っている。この国は「大統領制」ではなく、いつの間にか「実質的な準議院内閣制」に変更された証拠だという見方だ。
(2)このPECが経済に及ぼす影響は実に大きい。410億レアルという大金が年末まで投入されることで、今年の経済成長予想を引き上げ、インフレを若干減らす。だが金融緩和であることからその副作用として、高インフレ期間が長くなることが見込まれ、今まで中銀が金利を上昇させてインフレ抑制を図ってきた成果を相殺すると見られている。
車の運転に喩えるならインフレ抑制というサイドブレーキを思いっきり引いたまま、金融緩和というアクセルを踏んでいる状態だ。それぞれの効果は相殺される。
この緊急支援のバラまきにより、来年の経済成長を先取りするような効果が今年現れるので、来年の経済成長予測はその分下げられ、金融緩和の効果として高インフレがより長く続く方向に経済が引っ張られるようだ。
かなり強引なPEC15の成立過程

まずこのPEC成立の経緯を説明する。今年年初、カミニョネイロ(トラック運転手)たちと関係の近い上議2人によって、最初の「PECカミニョネイロ」(PEC1)が作られた。昨年来のディーゼル油の値上がりに対して補助金を出すものだ。
これに「PECカミカゼ」と名付けたのは、ボルソナロ大統領の右腕であるゲデス経済相だ。「こんな法案を通したら財政的な自殺行為だから絶対に承認しない」という意味で、そんなあだ名をつけた。
その後、カルロス・ポルティーニョ上議(PL―RJ)により同じ趣旨の燃料PEC(PEC16)が草案された。下院議長のアルトゥール・リラ(PP―AL)は、PEC16をPEC1にくっつけ、さらにバイオ燃料を扱うPEC15と一体化させた。
というのもPEC15はすでに上院特別委員会の段階にあったため、これに一体化させることでPEC1の憲法・司法・市民委員会の通過が省略され、審議が加速されるからだ。このへんがリラ下院議長の手腕といえる。
この頃から、ゲデス経済相は宗旨替えをして賛成を始め、「PEC善意(PEC das Bondades)」と呼びなおし、セントロン側議員はこれを使うようになった。だが、今でもこの法案に否定的な立場の野党議員やメディアは「カミカゼ」を使う。
6月30日、ブラジル連邦上院本会議での第1回審議は72対1票、第2回は67対1票で承認され、下院の審議に回された。上院ではPTら野党もほぼ全員賛成した。
7月7日午前6時30分、下院のリンコン・ポルテラ第1副議長(PL―MG)は「出席者名簿には、65人の名誉ある議員の出席が記録されています」と宣言をしてセッションを開始。午前6時31分には「会期は終了した」と宣言した。
議案の採決を早めるため、審議時間を1分間にするという異例の議会運営をした。同日午後、このPEC基本文は下院の特別委員会で36対1票により承認された。
下院での初回投票は12日に行われ、393対14票の大差で可決された。2回目の投票も同日中に行われる予定だったが、インターネット接続に問題が生じ、見送られた。同日、ネレウ・クリスピン副議長(PSD―RS)は最高裁判所(STF)にPECのこの審議のやり方は憲法原則を傷つけるとして停止を求めたが、アンドレ・メンドンサ判事はこの要求を否定した。
結局13日に行われた下院2回目の承認投票はリモート方式で行われ、469対17票の大差で可決。6月30日に上院が承認した法案には一切手を加えず、修正動議も否決して承認した。同PECは14日午後、スピード発効となった。
この経緯に関して野党議員は、政府が非常事態宣言までして緊急支援を給付することを批判し、この措置を「選挙目当て」と批判した。というのも、選挙法では「選挙の年に新たな社会的給付を創設することは禁止」となっているからだ。だが政府が非常事態宣言を出せば、選挙の年であっても給付が可能になるというカラクリだ。
ボルソナロ大統領(PL)はPECを「救済措置」と賞讃。ルーラ元大統領(PT)は「選挙対策」と批判した。だが下院でPT議員は反対したが、上院では賛成票を入れているので、ルーラの反対はポーズに過ぎない。だいたいこのPECに含まれている「アウシリオ・ブラジルを600レアルにする」アイデアはルーラ本人が昨年来言ってきたことだ。
ボルソナロとルーラは共にポピュリズムの政治家である点では共通しており、財政バランスは常に軽視される傾向にある。その意味からは、どちらが大統領に当選しても、年末の景気次第では緊急支援を継続する可能性は高い。
本当の権力者は下院議長

この経緯に関して、7月10日付エスタード紙《「ボルソナロが英国女王陛下になった。権力はリラとパシェッコにある」と検察官は言う》(https://economia.estadao.com.br/noticias/geral,procuradora-elida-graziane-bolsonaro-lira-pacheco,70004112742)という記事を出した。
エリダ・グラジアネ検事は約2年前に同紙のインタビューで「ブラジルは予算資源の分割と配分において〝財政封建主義(feudalismo fiscal)〟の時代を迎える」と予言した。それが的中したという意味での再インタビュー記事だ。
「財政封建主義」の意味を同紙記者に質問され、彼女はこう答えた。
《公的な予算を私的に執行し、ごく個人的な目的のために使用すること。社会の利益が得られるという保証はない。ゲームにルールがなければ、常に緊迫した状況での決断が行われる。(中略)このような公的資金の不適切な配分は、私的権力を最大化する。彼らは、カオス状況を利用することを学んだ巨人たちだ。カオスは意図的に選択されたもの。緊急性を必要とするために、最後の瞬間まで放置している》
つまり、選挙の3カ月前のギリギリのタイミングで、飢餓に直面する国民がかつてないほど急増した状況をテコにして、特定の政治家の利益になるような法案を紛れ込ませた憲法改正案を緊急審議したことを、そのように言っている。
ムリヤリ押し通すこの緊急審議のやり方を、同検事は「ちゃぶ台がえし(tapetão=カーペットを引っ張るの意)」と表現する。
この財政封建主義が進むと何が起きるのか?
《予算決定における準議院内閣制が進む。リラ下院議長がすでに事実上、予算を決定する〝首相〟になっている。ロドリゴ・パチェコ(上院議長)と共に権力分立の役割を担っている。しかし、彼らには基本的なルールがない。選挙の途中で、ゲームのルールを変更できるのであれば、それは「ちゃぶ台返し」だ。このPECカミカゼで起こっていることは、ゲームのルール変更を途中でやって、自分たちが勝つように変えることだ》と分析した。
この傾向の起源を遡ると、彼女の見方では、エドアルド・クーニャ下院議長(当時)にたどり着くという。《2015年に連邦議員がエドアルド・クーニャと一緒に、憲法修正案86採決で不可能を可能にした時です。この時から、この準議院内閣制への動きが具体化した。修正案86の時までは、ジウマ大統領が予算執行の差配をしていたから、思うように議員票を左右することができた。だがクーニャがそれを変えて以降、ジウマは何一つ政府発議の議案を議会で通すことができなくなった。そしてロドリゴ・マイア前下院議長は、このやり方を極限まで突き詰めた。その結果、ボルソナロ政権1年目の2019年、マイアは政権発案の議案をことごとく葬り去り、議会発案の法案ばかりを通して立法に力を付けさせた》と見ている。
この政権と議会のせめぎ合いの中で、テメル政権時の歳出上限法可決があった。それまでは政権が望めば歳出を越えた予算を組んで執行できたが、歳出上限法ができてからその権力が制限されるようになった。セントロンが与党になってから、本来はスーパー大臣だったはずのゲデス経済相の権限がどんどん削られる流れになっている。
ボルソナロは「汚職まみれの古い政治勢力と距離を置く」と宣言して4年前の選挙で勝ったが、結局は古い政治家に飲み込まれて権力を乗っ取られた形になった。
このような流れの中で、下院議長が大統領よりも予算案作成とその執行において力を持つようになった。その権力の象徴が、両院議長や彼が指名した報告官が予算執行する権限を持つ、莫大な「秘密予算」だ。
この権限がある限り、リラ下院議長は大統領が誰であろうと権力を行使できる。今回のPECは「ボルソナロのため」というよりは、「自分たちセントロン政治家が8月からの選挙活動をやりやすくするためのもの」の可能性が高い。
だから大統領の存在は政治権力を持たないシンボル的な「英国の女王陛下」の様になったという意味で、女性検事はこの表現を使った。
ルーラが再三「当選したら歳出上限法を見直す」と言っているのも、権力の再掌握という部分があるのだろう。
ロシアからディーゼル油を大量輸入して値下げへ

(2)の経済の影響に関しては、フォーリャ紙7月14日付《国内総生産やインフレの上方修正は、隠された悪事を23年へ先送りした》(https://www1.folha.uol.com.br/mercado/2022/07/revisoes-positivas-do-pib-e-da-inflacao-escondem-heranca-maldita-para-2023.shtml)に詳しくでている。
PEC15によるバラマキで経済活動が活性化され、今年のGDP成長率予測の上方修正とインフレ率の下方修正が行われ、下半期の経済活動は楽観視されるようになった。しかし、年内の見通しが改善するのと並行して、23年の見通しが悪化している。アナリストの見立てでは、ボルソナロ政権が来年の成長を先取りして、次の大統領に〝呪いの遺産〟を残したと見ている。
経済産業省が14日発表した予測によれば、今年のインフレ率の見通しを7・9%から7・2%に下方修正し、GDP成長率の見通しを1・5%から2%に引き上げた。同時に、23年についてはGDPを2・5%に維持したまま、インフレ率の見通しを3・6%から4・5%に引き上げた。
大方の大手銀行も同じような読み方をしているが、23年のGDPは現状維持もしくは低下すると見ているところもある。アナリストの認識が改善されたことで、リスク評価機関フィッチも14日にブラジルの格付けの見通しを「ネガティブ」から「安定的」に修正した。
同紙によれば、証券会社ネクトンのチーフエコノミスト、アンドレ・ペルフェイト氏は「最近採用された措置(同PEC)で、政府は来年に見込んでいた成長を今年にシフトさせようとしている」と話した。
そして《選挙まで3カ月を切った時点で約410億レアルを経済に投入しようとするPECによる新たな財政悪化のため、中銀はこれまでの予想よりも長い期間、高金利を維持しなければならず、おそらく23年の大半はSelic13・75%が維持されるだろう》と語っている。
そして別の専門家は《ブラジルのGDP成長率を今年1・5%、23年0・5%と想定し、金利上昇に世界経済の減速が加わり、今後1年間は景気の牽引力が失われる傾向にある。来年のことを考えると、あまり興奮してはいけない》と釘を刺している。
ここから先はコラム子の推測だが、ブラジル政界にありがちな展開として、年末時点でもロシアによるウクライナ侵攻が続き、さらに食糧危機や燃料高騰が悪化している場合は、この緊急支援をさらに継続させる可能性がある。歳出上限をさらに無視した財政出動が来年も続けられる訳だ。
12日付スプ―トニック紙サイトによれば、トラック運転手の機嫌をなだめるために、ボルソナロはロシアからのディーゼル油輸入契約の締結をしている(https://br.sputniknews.com/20220712/acordo-sobre-diesel-eua-e-europa-podem-impor-custos-ao-brasil-por-aproximacao-com-moscou-23565502.html)。
欧米からの制止を振り切って、国内消費量の20%を輸入する予定で、これが数週間以内に始まれば、劇的にディーゼル油が安くなる可能性があると期待されている。
北半球の冬が近づくのを見ながら、ロシアへの経済制裁を強める欧米日がエネルギー高騰に苦しむのを横目に、ブラジルもインドや中国がやっていることを始めた訳だ。
来年に先送りした不況をさらに再来年に先送りし、同時にBRICS内のつながりを強めるという構図だ。これはルーラでも変わらない方向性だろう。(敬称略、深)