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「歌は世につれ」=政界の未来を暗示したブラジル音楽界

2022年10月21日

ボルソナロ大統領とセルタネージャ歌手たち(Antonio Cruz/Agencia Brasil)
ボルソナロ大統領とセルタネージャ歌手たち(Antonio Cruz/Agencia Brasil)

 日本には「歌は世につれ」ということわざがある。「歌は世相を反映し、歌もまた世相に影響を与える」という意味だ。これはブラジルでもそのまま通用するものだとコラム子はかねてから思っている。
 ブラジル音楽界の傾向は、世相を反映して二極化傾向にある。人気を二分しているのは、ファンキやサンバなど、黒人や女性が多いジャンルと「ブラジルのカントリー」と呼ばれ、中西部の農村地帯から全国に広がったセルタネージャだ。前者は得てしてルーラ派が多く、後者にはボルソナロ派が多い。セルタネージャ歌手のほとんどは保守的な白人男性で、この傾向は実にわかりやすい。
 コラム子は、現在のように政治の二極化が顕在化する前から、音楽界の二極化を強く感じており、その時は「この変化は一体なんなんだ?」と違和感を覚えていた。
 コラム子が来伯したのは2010年のこと。この頃からファンキもセルタネージャも人気はあったが、音楽界の人気を二分するほどのものだった印象はない。当時は1960年代のカエターノ・ヴェローゾから続くMPBやロックも人気があった。
 2012年くらいからMPBもロックも急速に売れなくなり、ファンキとセルタネージャばかり目立つようになった。
 最近はそこに加えて、国際的スターとなったアニッタの活躍で、ファンキに女性歌手が一気に増え、歌うドラッグ・クイーン、パブロ・ヴィッタルの登場でLGBT歌手への注目度も一気に高まった。今やブラジルの若者に受ける音楽は「黒人か、女性か、LGBT」という状況になり、白人男性の居場所がなくなったように見える。
 すると、白人男性がセルタネージャばかりで売れるようになってしまった。なにも白人男性だからといって保守的なわけではない。ロックにも白人男性が多いが、その大半は左派。軍政と戦った歴史からMPBの男性歌手も左派が圧倒的だが、彼らが商業的に目立つ機会が失われてしまった。
 こうした状況は、ボルソナロ氏が台頭して二極化が叫ばれるようになった2018年の数年前にはすでに出来上がっていた。
 それ以降、個人的にはブラジル音楽が楽しめなくなったところが正直ある。性や人種の多様性が上がったことに関してはすごく良いことだとは思うのだが、流行る音楽のサウンドは逆に画一的になったような気がする。セルタネージャも女性版の「フェミネージャ」が出てきたが、音楽的な広がりが増えたわけではない。
 昨今のブラジル音楽は、互いが自分の主張をしているだけのように聞こえて、音楽そのものが響いてこない気がしている。これは奇しくも、今のブラジル政治にも言えることだ。(陽)


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