《記者コラム》足元揺らぐボルソナロ大統領=W杯の陰でルーラが必死に裏交渉
ルーラ出陣で一気に動き出すブラジリア政界

世間はサッカーW杯のブラジル代表の活躍に目を奪われているが、その裏でルーラは水面下の裏交渉を必死に進めている。
喉の治療が一段落するや11月28日に首都ブラジリアに赴き、アルツゥール・リラ下院議長(進歩党・PP)やロドリゴ・パシャッコ上院議長(社会民主党・PSD)と懇談した。
すると、それまでグレイシ・ホフマンPT党首らがいくら交渉しても遅々として進まなかった、移行PECがわずか5日間で動き始めた。
そもそも新政権は発足すらしていない。なのに来年から4年間に使う予算を増やす憲法補正案を、たった2週間で通そうとしている。両院議会の5分の3以上の承認を2回ずつだ。そのこと自体が相当の力業だ。
当然、なりふり構わずトマラダカー(利益のやり取りを伴う政治交渉)も出てくるだろう。「将来の汚職の芽」が潜んでいなければいいが…。
財相にはフェルナンド・アダジ一本槍
ルーラは2日「各省には自治権がある。でも選挙で勝ったのは私だ。この国の経済的な判断に関わりたい。私は何が人々のためになるか、何が市場のためになるかを知っている」と発言した。
ルーラは強引に自分の意思を通そうとしているように見える。次の4年間を、自分の人生の集大成と考えているのかもしれない。
とくに経済政策にはこだわりがありそうだ。選挙運動期間中、いくらその質問をされてもはぐらかしてきた。それが意味するのは、公表したら不人気になる政策を当選後に実行しようとしているとの疑いだ。経済政策を明らかにしない候補を当選させたのは国民の責任であり、そのしっぺ返しがこれからやってくる可能性がある。
その施策が何かは分からないが、相当に金のかかる政策であることは予想がつく。おそらくボルサ・ファミリア的な貧民救済を表看板にしながらも、実際には貧困層にPT親派を増やす票固めを兼ねた政策ではないかと想像される。それが実現されることによって、PT政権が永続化されるような施策だ。
だから財布のひもを握る財相に、子飼いのフェルナンド・ハダジをつけることに徹底的にこだわっている。ルーラが後継者として最も推している人物だ。
だが経済界、市場は「ハダジだとジウマ政権時のようなバラマキ政策で財政バランスを崩し、国家財政を悪化させるのでは」と不安視し、ハダジ財相説が出る度に株価を下げ警鐘を鳴らす。
だがルーラは今回意思を曲げるつもりはなさそうだ。あくまでハダジを貫く前提でおり、市場のご機嫌を伺うために財政規律を重視する経済スタッフをハダジの側近に付けることでイメージを中和させようとしている。いずれ時間の問題でハダジ財相が発表されそうだ。
ボルソナロと近い軍とのデリケートな関係
ここでボタンを掛け違えると、4年間苦労することになる。それを知っているルーラはじっくりと人選を進めている。とくに気を使っているのは軍との関係だ。国防相には第2期ルーラ政権で閣僚を務めた民間人、連邦会計検査院(TCU)元判事のジョゼ・ムシオ・モンテイロ氏(74)という説が有力だ。
PT政権時代、軍は給与調整などで冷遇されてきた経緯がある。それを逆手にとってこの4年間でボルソナロは軍に厚遇を与えて味方につけてきた。閣僚クラスだけをみても軍事政権時代よりも多いの軍人が起用されている。加えて一説に寄れば、8千人もの職業軍人が中央官庁で官僚として働いていると言う。
軍の給与は安いことで有名だが、中央官庁に派遣されて働くことによってそちらの給与も貰え、普通の軍人生活ではありえない厚遇を受けている。だからボルソナロに恩を感じる軍人は多い。
ボルソナロがいる大統領府に至っては門番から雑用係に至まで、あらゆる所に軍人が起用されていると報じられている。
だから「泥棒(ペトロブラス汚職疑惑のあるルーラ)を政権につかせるのか」と扇動するボルソナロ派勢力に賛同する軍内部関係者もいる。
それを奮い立たせるために大統領派強硬グループは軍施設前でキャンプを張って「軍事介入」を呼びかけている。軍上層部は応じる気配を見せていないが、一部には賛同する勢力があるというデリケートな状態だ。
だから次期政権は3軍の新総司令官を年内に指名し、軍側も年内に入れ替える可能性があるようだ。それは現総司令官がボルソナロ指名の現政権親派であるから、新しいルーラ指名の総司令官に入れ替えることで、クーデター機運を落ち着かそうと配慮している。
人事のさじ加減が難しいところだ。ルーラは軍の待遇をどうするのか。最初の難問の一つだ。
秘密予算に目をつむって移行PECを通す?

ルーラは選挙期間中「秘密予算はなくす」と公約し、対するリラ下院議長は「秘密予算を認めさせる」と真っ向から対立してきた。権威主義化するボルソナロに対して、大統領権限を弱めるために連邦議会が権限を強めて、下院議長を事実上の首相のようにするための仕組みが秘密予算と言われる。
リラ下院議長は秘密予算を大統領に認めさせる代わりに、いくらボルソナロ罷免申請が自分の所に集まってきても、決してその審議を始めず、大統領を守ってきた。リラは大統領の議会地盤のセントロンのリーダーであることから、政権の番頭とも見られてきた。
10月選挙の単純な数字だけを見れば、本紙10月8日付《大統領選で両候補とも議会勢力は過半数以下=ボルソナロは保守政党説得必要=ルーラは中道との交渉次第》(https://www.brasilnippou.com/2022/221008-11brasil.html)にある通り、ルーラ派下議144人・上議16人、ボルソナロ派下議194人・上議25人と後者が圧倒している。セントロン全体を含めれば300人以上とも見られてきた。
これでは次期政権がどんな法案を出しても、否決される可能性があった。それどころかルーラに不祥事でも出てくれば、たちどころに罷免される恐れがある。
だが以前から言われてきた通り、セントロンには思想傾向はなく、常に「権力者の味方」であることが特徴だ。その特性がこのルーラとの交渉で発揮された。ここで出てきたのは、来年初めの下院議長選挙でリラ出馬をPTが支援するとの表明だった。
この裏には、移行PECを16日までに両院で承認するのと引き替えにとの政治交渉があった。このルーラの裏交渉以降、PTは一切「秘密予算をなくせ」と言わなくなった。見事な変わり身だ(https://www.bbc.com/portuguese/brasil-63829415 3日参照)。リラ下院議長が移行PEC承認の根回しをする際にも秘密予算が使われるに違いない。
フォーリャ紙2日付によれば、リラ所属のPPとボルソナロ所属のPLで移行PECへの賛成票を打診したところ、60票にもなった。(https://www1.folha.uol.com.br/mercado/2022/12/partidos-da-base-de-bolsonaro-consultam-bancadas-para-apoio-a-pec-da-transicao.shtml)ボルソナロの足元が完全に揺らいでいる。
盟友のはずのリラ下院議長がルーラと手を結んだのを見て、裏切りだと感じたボルソナロは、秘密予算の執行を凍結した。現時点で秘密予算をなくす唯一の手段は、最高裁が禁止することだけだ。
セントロンが雪崩打ってルーラ側に寝返り
リラの下院議長選を来年PTが支持することが意味するのは、来年から連邦議会の政権基盤はルーラに選挙協力した左派連立政党だけでなくなったことだ。セントロンのかなりの部分がルーラ側についた。
ルーラは首都で各政党代表と「閣僚入り」「ポスト配分」の交渉を繰り返して、セントロン政党やその議員を寝返らせている最中だ(https://www.estadao.com.br/politica/pec-da-transicao-vira-moeda-de-troca-para-barganhas-entre-congresso-e-governo-lula/ 3日参照)。
シモネ・テベテ氏の民主運動(MDB)はもちろん、ジルベルト・カサビ党首率いる社会民主党(PSD)も、ここに来て連邦レベルではピッタリとルーラ側についたと報じられている。
カサビが面白いのは、ボルソナロ派最大の選挙結果といえるサンパウロ州知事選を制したタルシジオ次期聖州知事の局長クラスにカサビが入るとも報道されている点だ。サンパウロ州ではボルソナロに付き、連邦レベルではルーラに付くというアラブ式政治感覚だ。
今回、ルーラ側にはルシアノ・ヴィヴァール党首のウニオン・ブラジルがつく模様で、同党所属の反PT派のセルジオ・モーロ次期上議、片桐キム下議らの居所がどうなるか注目されている。またリラの所属政党PPに加え、最も驚かされるのはボルソナロの所属政党PLも揺らいでいる。PL議員の半分は、ルーラに付いたと報じられている。ルーラはわずか1週間の政治交渉でボルソナロの足元を崩した。
ジャーナリストのラウロ・ジャルジンが11月28日朝のCBNラジオで語ったことによれば、ペンテコステ派のウニベルサル教会が創立した共和者党(RP)すらも現在、ルーラとの連携を協議中だ。だが同党にはタルシジオ次期サンパウロ州知事、ダマーレス・アルヴェス次期上議なども所属しており、そう簡単ではなさそうだ。
ルーラの大統領就任式後の祝賀イベントで福音派歌手を歌わせることも交渉中だとか。選挙期間中、福音派教会はルーラを「悪魔」だと攻撃しておいて、選挙に負けたら手のひらを返す。見事な変わり身の早さだ。それがブラジル政界の摩訶不思議な所であろう。
移行PECで国の負債が10%増える?
移行PECが11月28日に上院に提出された。これは生活扶助支給額600レアル維持と子供手当支給150レアルなどの4年間分の総経費1750億レアルなどを歳出上限の枠外に置くものだ。
歳出上限を超えて資金を使えば普通は財政責任法に問われるが、そうならないように予め憲法の方を修正して合法化するものだ。歳出上限法は維持するけれども、その枠外で使える金額を巨大化することで、歳出上限を事実上無意味化する部分がある。
4日付コレイオ・ブラジリエンセは《移行PECは国の負債を10%近く上げる可能性がある》(https://www.correiobraziliense.com.br/economia/2022/12/5056488-pec-da-transicao-pode-aumentar-divida-publica-em-quase-10-pontos-percentuais.html)と報じた。
下院専門家グループの試算によれば年末時点の国の負債は国内総生産(GDP)の79%だが、移行PECがそのまま承認されれば、26年には89・8%になる可能性があると発表した。
同記事は《一部の市場予測はさらに悲観的で、グロス公的債務がGDPの100%を超えると指摘する。これは、グロス公的債務の平均がGDPの60%程度である新興国にとっては維持不可能なレベルだ。さらに悪いことに、ブラジルの公債は15年以降、投資適格でないため、債権者の間では他国と比較して「ジャンク」とみなされるためリスクプレミアムが上昇する》と報じる。
このPECが財政バランスに与える影響は小さくない。だから4年間分ではなく、2年や1年に短縮して金額を下げる案も出ており、交渉は一筋縄ではいかなそうだ。
次期政権のこの支出拡大の動きをみた市場では、来年以降も事実上の金融緩和が続き、その分インフレが根強く残り、髙金利が予想より長引くとの見方が強まっている。
ボルソナロ大統領のうつ病説も浮上

ジャーナリストのジェフ・ベニシオが3日付テラ・サイトで《テレジャーナリズムは、ボルソナロのうつ病疑惑に真剣に向き合う必要がある》(http://www.terra.com.br/diversao/tv/o-telejornalismo-precisa-abordar-seriamente-a-suposta-depressao-de-bolsonaro,2f7a0cfec36d68840feb5956 4日参照)との記事を出したのは気になる点だ。
グローボニュースで政治評論家のナツーザ・ネリが「ボルソナロは落ち込んでおり、うつ状態だ(Bolsonaro está depressivo, deprimido)」と発言したのを受け、男性至上主義的な傾向を持つ大統領が選挙で負けたことで落ち込んでいるが、その性格ゆえに弱みを表に出せずに苦しんでいるのではとの疑問を呈する。「この国の最高権力者であり、もっと真剣にこの問題を検討する必要がある」と論じている。
同記事には保健省調査ではブラジル人の11%が医師からうつ病と診断され、19年の世界保健機関報告によれば、ブラジルの自殺の76%を男性が占めていると書かされている。
決選投票以降、ボルソナロは緊張の糸が切れてしまったようにも見える。大統領府にもしばらく行かず、木曜ライブもぱったり辞めた。あまり公に姿を現さず、コメントも出さなくなった。
反ボルソナロ派は「クーデターなど良からぬことを企んでいる」と疑い、モウロン副大統領らは「足の丹毒(溶連菌による皮膚の化膿性炎症)のため仕事が出来ない」と説明している。だがボルソナロもただの人間であり、うつ病など何らかの精神疾患を発症した可能性を疑うことは正常な発想だろう。
この1週間で、一気にPT政権時代の政治的風土、ルーラとセントロンががっちりと手を組む状態が逆戻りしたのではないか。そんな悪い予感がしてならない。その様子を見て、大統領はさらに落ち込んだかも。
16日までにどんな形で移行PECが承認されるのか。軍との関係は、軍施設前でピケを張っているボルソナロ支持者強硬派をどうするのか。新政権は難問が山積みだ。(敬称略、深)