特集=コチア青年移住70周年記念式典=400人が出席して「古稀」祝い

1955年から12年間にわたって総勢2508人がブラジルに渡ったコチア青年の移住70周年記念式典が9月14日、サンパウロ州サンロッケ市にある文協国士舘公園内の武道館で開催された。日伯外交樹立130周年も記念して行われた式典には、日本から全国農業協同組合中央会(JA全中)の山野徹会長をはじめ、式典名誉総裁の林禎二駐ブラジル日本国大使、副名誉総裁の清水享在サンパウロ日本国総領事、各日系団体代表などの来賓、ブラジル各地に住むコチア青年とその家族や関係者など約400人が出席し、「古稀」の節目の年を祝った。なお、同式典は2世中心の実行委員会メンバーと3世ら若手が準備・進行を率先して行い、1世を盛り立てた。

式典前の午前9時からは、同武道館横の「国士舘コチア青年の広場」慰霊碑前で物故者追悼法要が執り行われた。イビウーナ日伯寺の櫻井聡祐氏が導師を務め、コチア青年連絡協議会の広瀬哲洋会長をはじめ、来賓らが菊の花を一輪ずつ献花した。その後、同広場内で林大使、山野JA全中会長、コチア青年1次1回生の黒木慧さん(90、宮崎)と岡原幸男(ゆきお)さん(93、宮崎)がそれぞれ記念植樹を行った。
場所を武道館に移して午前10時過ぎから開会された記念式典には、広瀬会長、山野JA全中会長、林大使、清水総領事、宮崎明博JICAブラジル事務所所長、ブラジル日本文化福祉協会の水本セルソ理事、ブラジル日本都道府県人会連合会の谷口ジョゼ会長、サンパウロ日伯援護協会の小田セルジオ副会長、ブラジル日系熟年クラブ連合会の辺原良子会長、コチア青年子弟で日系2世の飯星ワルテル元連邦下院議員らが来賓として登壇した。
指宿(いぶすき)えみりさんと菅野強司(つよし)さんの司会で進行し、文岡セルジオ正樹実行委員長の開式のあいさつで幕開けした式典では、日伯両国歌斉唱・国旗掲揚後に広瀬会長が式辞を述べた。1955年9月に1次1回生のコチア青年109人がサントス港に着いてから70年の月日が経ち、当時20歳前後だった「青年」も今や90歳の高齢になっていることに言及。67年までの12年間に計2508人の青年と、花嫁移民約500人がブラジルに渡ってきた経緯を振り返った上で、「1年前、2世の方々に今日の式典を成功させるために力を貸してほしいとお願いしました。1世の残された時間がわずかとなる中、できれば2世の方々で今後の時代に合わせた形で存続させていってほしい」と期待し、準備を行ったすべてのスタッフへの感謝の気持ちを示していた。

引き続き、日本政府を代表して林大使が祝辞を披露し、ブラジル農産品の多様化や食文化の改善、セラード開発を通じた農業輸出大国として生活を向上させたコチア青年の貢献を「日伯関係の礎(いしずえ)」と称賛。2世をはじめとする次世代が農業、政治、教育、医療等の各分野で活躍していることにも触れ、「日本政府としても日伯関係のさらなる発展に取り組んでいく」と強調した。
JA全中の山野会長は、1955年から始まったコチア青年の歴史を振り返った上で、「70周年という数字に2つの特別な思いがある」とし、一つはJA全中が昨年創立70周年を迎えたこと、二つ目は山野会長自身が今年70歳を迎えることを説明。「70年という長さを身を持って実感する中で、コチア青年の皆様のたゆまぬ努力により、今日までの発展と日伯関係を築かれたことに厚く御礼申し上げる」と述べ、次世代の今後の発展を願った。
来賓祝辞、家の光協会の祝電メッセージに続いて、広瀬会長から1次1回生の黒木慧さんと、この日の昼食を準備した肥後トヨコさん(2次4回、故・肥後英樹さんの未亡人)にそれぞれ感謝状が授与された。黒木さんは謝辞で、「コチア青年制度は我々に大きな夢を抱かせ、若さと夢の前には恐いものは何もなかった」と当時の心境を語り、「多くの仲間とともに立派な感謝状をいただけたことは身に余る光栄です」と喜びを表した。
コチア青年2世代表の飯星元下議に続いて、3世代表の指宿こうきさん(13)が「おじいちゃんは苦労もたくさんあったが、素晴らしい友人たちと過ごせることが一番の財産と言っていた。今まで知らなかったことを聞き、次世代に長く引き継ぐ必要があると感じた」と述べ、祖父への感謝の気持ちを捧げた。
また、「長寿祝賀会」として援協名誉会長の菊地義治氏による祝辞の後、出席していた喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卒寿(90歳)のコチア青年たちにそれぞれランの花が贈呈された。該当者を代表して米寿の松岡利治さん(埼玉)が謝辞を述べ、「式典に合わせて長寿を祝う機会を設けていただいたことに感謝いたします。70年前に青年だった我々も今や高齢者となりましたが、皆さん本当によく頑張りました。過酷な労働や不慮の事故で早世した仲間が多いのも事実で、心から哀悼の意を捧げたいと思います。その分、残された我々は長生きできるよう、今まで以上に健康に気をつけて頑張りましょう」と呼びかけた。
ケーキカット、記念撮影、コチア青年連絡協議会副会長の本多泉美氏による閉式のあいさつで式典は恙(つつが)なく幕を閉じ、清水総領事の乾杯の音頭で親睦懇親会が行われた。
1次1回生、高齢者中心のコメント

ブラジリアのINCRA植民地から娘夫婦と3人で出席した岡原幸男さん(93、宮崎、1次1回)は、「(INCRA)植民地に50年住んでいますが、その間、コチア青年20人ほどが入植し、今も7人のコチア青年がいます」と同地での現状を語り、70年前、配耕前の宿泊先だったモイニョ・ヴェーリョでコチア産業組合創設者の下元健吉氏から直接、訓辞を受けたことも覚えていた。「(訓辞の)内容は忘れましたが、(下元氏は)声に元気があり、良い笑顔をされていました。引き受け先のパトロンたちは一日も早く、自分たちの土地にコチア青年を入植させたかったと思いますが、下元さんは『(モイニョ・ヴェーリョに)もう1日おってくれ』と我々青年たちを引き止めてね。思い入れがあったんでしょうね」と当時の思い出を振り返った。

長年、リオ州ノーバ・フリブルゴに住んだ後、現在はサンパウロ州ソロカバ在住の村田勇さん(90、埼玉、1次1回)は今回の卒寿祝いでランの花を受け取り、「健康で、今が一番幸せな時期です」と笑顔を見せる。村田さんと一緒のテーブルに座っていたのは、パラナ州カストロ在住の設楽(したら)文枝さん(82、群馬)。息子が村田さんの娘と結婚しており、親戚関係に当たる。今は亡き夫の設楽昭雄さん(群馬、1次7回)の花嫁移民として62年に来伯。約50年間、日本語教師活動のほか、太鼓の指導者として後継者を育ててきた。「3カ月前まで(日本語学校の)生徒がいましたが、今後も依頼があれば、日本語は教えたいです」とさらなる意欲を見せていた。

家族で式典に出席したのは、蓮井清朗(はすい・きよあきら)さん(93、香川、1次1回)と、夫人で日本舞踊指導者の蓮井康恵(やすえ)さん(81、高知)。9人兄弟の四男で、実家が農業と塩田をやっていたという清朗さんは「台風で堤防が決壊して(農業と塩田の)仕事がなくなり、農協でコチア青年のことを知ったことで『自分一人くらいおらんでも』と思ってブラジルに来たが、海外に出たいという夢はあったね」と渡伯したきっかけを話してくれた。夫人の康恵さんは清朗さんのパトロンの親戚だったこともあり、康恵さんの母親が2人の結婚を決めたという。

コチア青年の重鎮的存在で、10月半ばに93歳になるという野村愛國(よしくに)さん(島根、1次12回)は、同船者の三嶋一夫(いちお)さん(92、島根、1次12回)、植竹陞(うえたけ・のぼる)さん(87、栃木、1次12回)らと一緒のテーブルを囲んでいた。野村さんは「これまでに、どれだけ多くの(コチア青年の)仲間が亡くなってきたことか。事故死で亡くなった青年も多いんだよ」と神妙な面持ちで話していた。