site.title

世界覇権とブラジル鉄道の衰退史=英国鉄道から米国自動車へ

2025年10月1日

万華鏡2
コーヒー豆輸送のために建設されたサンパウロ州初の鉄道「サンパウロ鉄道」(Foto: Biblioteca Nacional)

ブラジルの鉄道は19世紀のコーヒー輸出を支えるインフラとして発展したが、20世紀以降の産業構造の変化や自動車産業の台頭、政治的・経済的な政策転換により衰退した。9月29日付のBBCブラジル(1)が、その歴史的経緯と政策転換の影響をたどり、ブラジル鉄道がいかにして「破壊」されたかを検証した。

1807年、欧州でのナポレオン戦争に伴うポルトガル王室のリオ避難が重要な契機だった。当時、ナポレオンのフランス軍の侵攻からポルトガル王室を守るため、英国海軍が軍艦で王室一行を護衛した。

ポルトガル王室は、当時の覇権国・英国の保護の下で当時植民地だったブラジルに拠点を移したため、英国は対ブラジル外交・貿易面で優位な立場を得ていた。そんな19世紀、ブラジルにおける鉄道の発祥は1854年、リオ州に開業したマウア鉄道が最初だ。当時、ブラジルの鉄道建設には英国の技術や資金が大きく関わっていたため、マウア鉄道も設計や建設支援の面で英国の影響を受けた。

マウア鉄道はパライバ渓谷で生産されたコーヒーをマジェ港まで運び、船でリオ市へ輸送するルートの一部を構成した。当時、コーヒーはブラジルの輸出総額の半分を占める戦略的商品であり、鉄道はその輸送を支える根幹的手段となった。

鉄道網はコーヒー栽培地の拡大とともに広がり、やがて旅客輸送にも対応。馬車が主流だった時代において、鉄道は画期的な存在で、長距離移動や物流の主役を担い、外国人移民を地方の農場まで運んだ。

鉄道網は1920年代には3万キロに達したが、1929年の世界大恐慌が構造的な転換点となった。コーヒーの最大の輸出先だった米国が経済崩壊に見舞われ、国際市場での需要と価格の急落で、鉄道は急速に収益性を喪失。当時の鉄道は多くが民間企業によるコンセッション方式で運営され、輸送量の減少は事業の採算悪化につながった。ここから鉄道衰退が始まり、国有化が進む。

40年代以降、国家主導の工業化が進展し、ナシオナル製鉄(CSN)やヴァーレといった国営企業が創設された。農業中心の経済から都市工業型へと移行し、地方から都市への人口流入は旅客鉄道の需要を減退させた。

第2次大戦を経て、世界の覇権は英国から米国に移行した。1956年に就任したクビチェック大統領は、開発計画「50年の進歩を5年で」を掲げ、自動車産業を経済の推進力に据えた。冷戦下における米国との戦略的関係強化の一環として、1956年には自動車産業実行グループ(GEIA)が創設され、米国の技術協力と資金支援が本格化した。

フォルクスワーゲンは1953年に輸入車販売を始め、1957年にはサンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポに現地組立工場を設立して現地生産を開始した。米ゼネラルモーターズはサンパウロ州ジュンジアイ工場を1958年に開設し、現地生産を開始。トヨタ自動車も1959年に進出し、現地生産を開始した。

自動車産業は、関連部品の製造から販売・整備に至るまで裾野が広く、雇用創出効果も高かったことから、国家経済の牽引役として重視された。道路建設は鉄道よりも安価で、当時の石油価格も安定的に低かった。

同時に、鉄道の老朽化が進行し、50年代には多くの鉄道コンセッション契約が満了間近となっていたが、事業者には設備更新や返還時のインフラ状態に関する明確な義務がなかった。そのため、鉄道施設の劣化が著しく、経済的価値の維持が困難な状況に陥っていた。この背景から、1957年に連邦鉄道公社(RFFSA)が設立され、分散運営されていた鉄道網が国家管理下に統合された。

だが、採算性の観点から赤字路線や支線の廃止が進められ、60〜70年代にかけて小規模鉄道が相次いで消滅。旅客鉄道は首都圏などを除いて姿を消し、車や航空機の普及が鉄道の地位をさらに低下させた。

一方、貨物鉄道も振るわなかった。親米の軍事政権下では道路整備が優先され、リオ・ニテロイ橋のような象徴的インフラに資金が集中した。1973年の石油危機はブラジルの国際信用を損ね、インフラ整備に必要な外資導入が困難となった。

結果、1990年代初頭に至るまで国家的な投資計画は停滞。1990年代初頭には低成長、高インフレ、巨額の公的債務に直面するなかで、連邦鉄道公社(RFFSA)は解散となり、鉄道網は民間へ再委譲された。コンセッション契約には投資や改善義務が不十分で、多くの路線は「メーターゲージ(狭軌)」のままだった。これは国際標準より狭く、輸送効率が低いため、鉄道は本来の機能を発揮できていない。結果として道路への依存が強まり、2018年のトラック運転手ストのように国の物流が脆弱化する事態になった。

専門家は、鉄道による鉄鋼コイルやセメント、自動車部品など多様な貨物輸送の可能性を指摘する。経済・政策の変遷に翻弄されながら衰退してきたブラジルの鉄道だが、依然として再生の余地は残されている。適切な投資と制度設計がなされれば、持続可能な交通基盤としての再構築も十分に期待できる分野といえる。


「1日に5〜10人の女の子」=ブラジル人被害者のエプスタイン証言前の記事 「1日に5〜10人の女の子」=ブラジル人被害者のエプスタイン証言北東部はテクノロジー戦略拠点=デジタル経済発展の先進地に次の記事北東部はテクノロジー戦略拠点=デジタル経済発展の先進地に
Loading...