マイゾウ・メーノス(まあーまあー)の世界ブラジル(40)=サンパウロ 梅津久
第32話―鍵の世界
約40年前(1973年)、ブラジルに来て初めて働き始めた日本人(移民の方)の小さな会社では、毎朝、社長さん自ら会社のシャッターを開けていましたが、その時の鍵の数の多さには驚きました。
キーホルダーなんていうものではない。映画に出てくる刑務所の独房の鍵をぶら下げるような鉄輪に、ザクザク、ジャリジャリ音を立てて鍵を見つけシャッターを開けていく。それも一つのシャッターに三つの鍵。そして次に、事務所(すなわち会社)入り口の扉、ここは二つ。それから社長室の鍵、奥に行くと、工場入り口、食堂、製造事務所と次から次へと驚きました。
そして、仕事場でもそうです。事務机、ロッカー、引き出し等々、すべてに鍵がかけてある。一般家庭の家も同じで、塀の扉、玄関の二重ドア常に鍵がかかっている。すばらしい鍵の世界です。
「相手をみたら泥棒と思え」、「自分の物は自分で守れ」が染みついている光景には驚きました。また当時、鍵の数はその人のステータスを表すと云われ、腰にこれ見よがしに鍵の束をぶら下げて歩く人の多いこと。
日本では、家に入ったら、襖で仕切られた部屋、まず鍵は必要ない。玄関の扉に鍵もかけずに家を空け、農作業をして、夜に寝るときだけ扉をロック(棒を引っかけるだけ)していた光景が浮かぶ。
仕事場はたしかロッカーの鍵だけで、事務机には鍵など掛けなかった。鍵は財布の中に1個入っているだけの生活習慣の世界から来たばかりで、驚いたものである。
それから、モジ・ダス・クルーゼスの町で一軒家に住むことになった時のこと。玄関のドアには鉄格子のような桟があり、その内側にガラス。各部屋の窓と云う窓には、外側から、それこそ刑務所のような鉄格子がしっかりとついている。侵入者防止(泥棒よけ)です。
初めは、情けなく思いましたが、地元の話しや、ニュースを聞いて、これは必要最低限の自己防衛手段と解りはじめ、時間とともに馴れてしまった。この町で私は2度車を盗まれました。
1度目は自宅で。小さな家でしたので駐車場がなく、路上駐車していました。朝起きて、「あれ、昨日どこに車を停めたっけ?こっち、いやあっち?え!ない!やられた!盗まれた!」。頭から血の気が引いていったことを覚えています。盗まれた車は、泥棒がサンパウロ市郊外のビラ・マリア区で衝突事故を起こして逃げ、警察からの連絡で戻ってきました。
2度目は盗まれた後、ドゥットラ街道(サンパウロからリオに行く街道)でガス切れで放置されていたところを発見されました。情けなくなりました。
サンパウロからマナウスに移ると、鉄格子のような窓格子を付けている家が少なく、ここは安全で平和な町だと感じました。実際、サンパウロでは家内が3回、私が1回トロンバジーニュー(ひったくり)に遭っており、昼も夜も前後、左右注意をしながら歩き、あぶないと思ったら、どこかに逃げる準備をして歩いたものですが、ここは平和、何の心配もなく歩けました。
それも、数年が過ぎると、大都会と同じように、地方から人が流れ込み、泥棒、強盗、はては誘拐事件まで発生するようになり、頑丈な窓格子と鍵の世界に入ってしまった。
一度は家で庭掃除をしていると、20歳前後の男が、紙の靴箱を持って、「センニョール、ナゥンケール、エステ?(これいらない?)」と箱の蓋を開けた、中には拳銃が入っていてビックリ。リボルバー式でかなり大型だったので38口径だったと思われる。断りましたが、このような売買があるのかと体験した次第です。
鍵の世界で注意したいのが、職場の事務机です。昔ですと計算機が、今はデジカメや、財布からお金が無くなった(盗まれた)という話は日常茶飯事です。昼の食事時間、夜から朝にかけて無くなる、最悪は、机に入れてあった小切手の数枚がすり抜かれ、サインを真似られて口座からお金が引き出されたという事件まであった。金額が小口だったので、銀行も不振に思わずお金を渡していた。特に日本から来られた方は、事務机の上に無造作になんでも置いておく習慣がある。珍しい、お金になりそう、「私じゃない、置いておく方が悪い」で無くなってしまう。財布、腕時計、カメラ、計算機、可愛らしい文房具や工具等々要注意です。


