星明りの下に、黒々と蛇腹のようにうねって、長屋が幾つも並んでいた。近付けば近付くほど、それが粗末は小屋だということが分った。大急ぎで割り当てられ家に、人々はローソクを手にかかげて入って行った。家、とは言えないかもしれない。屋根の下の土間を土壁が二つに仕切っているだけのものだった。上を仰ぐとすすけた赤瓦がローソクの光にユラユラ揺れていた。土壁には先住者のヤモリがピッタリとはりついていた。
それぞれの長屋のむきだしの屋根の下で、それぞれの夫婦が呆然とした暗い顔を見合わせていた。外国生活といえばいつも洋服をキチンと着て白壁のシャレた家に住むものだ、と教えられてきた。神戸の移民収容所に集合したときも「外国人の生活程度は高い。だらしない浴衣などは国辱ものだ決して着てはいかん」と役人に高飛車に言われた。
しかし……この家は馬小屋と変わりなかった。外国にも貧しい生活はあるのだ、という当り前のことを彼等は知ったのだった。しかも、自分自身のこととして。
別送した荷物はまだ着かないので、人々はありあわせの布を敷いて、土間にゴロ寝した。
「牛や馬のごと、ある」
疲れた女の声がどこかでした。
翌日は朝から運平は忙しかった。いずれは日本的な生活様式をとり入れるにしても、さし当ってはこの農園の農場労働者たちの生活のやり方を真似る必要があった。
それが一番てっとり早い。サルトリオ支配人がつけてくれた監督に色々と訊ねがら、早急にすべきことを彼は移民たちに指示した。
農園内の売店で食料品や日用品をツケで買う。森から木を伐って寝台をつくる。倉庫に収穫してあるトウモロコシの皮を貰って、ベッドのクッションを作る。
先住者がカマドを遺してない家はカマドを作る。少くとも数日分の薪を拾い集める等々……。
小屋の貧しさに文句を言う人もいたが、運平は「目先の不平を言っても仕方ない」と言ってとり合わなかった。
コーヒー園労働に必要な農具も売店から買わせた。
クワやオノは金具だけ売っていて、柄は各自の好みですげる。枯木よりも森から若木を切って柄にした方が、弾力があって使いやすいそうだ。クワの柄の長さと角度は使う人の身長に合わせる。要点を運平は監督に手真似を交えて教わりながら、ドンドン仕事を進めさせた。
「通訳さん」
シメという女が不思議そうな顔で訊ねた。
「いくら探しても、便所がどこにあるか分らんですが」