《記者コラム》ペレの記録映像の多さに感謝

ペレが亡くなった。コラム子は現在、ブラジル社会面で5回にわたる連載を書かせていただいている。執筆中は「サッカーの王様」と呼ばれた彼の凄さを思い知らされてばかりだ。
コラム子が生まれたのはペレが3度目のW杯を制したとき。サッカーに興味を持ち出した小学生の頃には、ペレはもう「少し前までこんなにすごい選手がいた」という伝説の人状態で、どんな選手だったのか知りようがなかった。
ブラジルに来てからは、仕事でサッカーやW杯の記事を書くために、ペレの記録資料に当たる機会が増えた。在住12年を経て、ユーチューブのような存在も出てきたため、ペレの現役時代のプレーの一端を確認できるようになった。
今回、ペレの連載記事を書くにあたって恵まれていたのは、彼の映像記録が想像していた以上に豊富なことだった。
ユーチューブには「ペレの歴代ベストゴール10選」のような動画が豊富にあがっている。それだけでもかなりありがたいのだが、一番すごいのはW杯の主催元である国際サッカー連盟(FIFA)の映像資料だ。
FIFAサイトでは、ペレのキャリアの中で最も評価されている1958年や1970年のW杯での名試合の動画が、十数分のハイライト版や、凄いものになると1試合フル尺で見ることができる。
これはすごく助かる。ペレの歴代に残る名プレーが、編集で良い部分だけを強調して切り取ったものでなく、一連の試合の流れの中で見ることができるのだ。
プレーを理解するための臨場感と実感がまるで違ってくる。今回、ペレの身体的な格差が実感を伴って理解できたのは、この映像資料の保存状態の良さに負うところがかなり大きい。
映像記録という点で比較するなら、残念ながら日本はかなりお粗末だと言わざるをえない。50年代から70年代にかけて、とりわけテレビ関係の映像資料が日本の場合、非常に乏しいのだ。
ペレは長嶋茂雄とほぼ同時期のスターだが、長嶋の現役時代の映像資料はきわめて断片的なものしか見ることができない。いや、むしろ長嶋ならまだいい方で、野村克也や、若き速球王だった時代の江夏豊など、試合単位の映像などまるで見ることができない。
この背景には、当時の日本のテレビ界が「テープを高価なものと考え、番組制作者が録画した番組内容を上書きして使用する慣習があった」との話を実際に聞いたことがある。文化的に取り返しのつかない間違いだと思う。
その点、ブラジルは立派で音楽やニュースに関しても60、70年代の映像資料が豊富で、かなりのものを追体験できた。連載執筆を通じて、映像や音声の記録保存がいかに文化にとって重要かを痛感した次第だ。(陽)