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《記者コラム》首都襲撃はブラジル版あさま山荘事件?=主役なしのクーデター未遂か

2023年1月17日

襲撃事件の翌日の9日以降も上がるなど、普通の動きを続けたボベスパ指数
襲撃事件の翌日の9日以降も上がるなど、普通の動きを続けたボベスパ指数

 8日晩、3権中枢施設襲撃事件のニュースを見ながら、「これはブラジル版あさま山荘事件かも」と考え込んだ。あさま山荘事件とは1972年2月に長野県軽井沢町にある「浅間山荘」において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件のことだ。70年安保闘争が失敗に終わり運動に関わった大半が手を引いた後、過激派が先鋭化して起こした末期的な事件だった。
 8日晩の時点でコラム子は「明日(9日)のサンパウロ株式市場(B3)は大荒れになるかも」と予想していた。だが実際のボベスパ指数はむしろ0・15%上げ、ドルは0・40%下げた。大荒れどころか、ごく通常の取引だったことに驚いた。
 世界中のメディアがガンガンと襲撃事件の様子を大々的に報じているにも関わらず、金融関係者は静観していた。その後も株価は上げ続けた。
 エスタード紙は《ブラジリアでのクーデター行為に対して市場が冷静に反応したのはなぜか?》(https://www.estadao.com.br/economia/mercado-tranquilidade-atos-golpistas-brasilia/)など複数のメディアで表明された専門家のコメントをまとめると、金融関係者の見方は次のような感じではないか。
 《この事件は、軍や警察が本格的鎮圧に乗り出してから、わずか1時間半で収まった。3権施設の不法占拠が長引いて銃撃戦が起きることもなく、ペルーのようにデモが激化して死者が50人とか出る訳でもない。
 この事件によって、むしろルーラに支持が集まり、政権の基盤は強化された。金融や経済の観点からは「激しいがあくまで単発事件」であり、終わった後のマイナス要素は少ない。逆に、ルーラ政権の経済政策が発表されることの方が注目要素。なぜなら長期的にブラジル経済を左右するからだ》。
 お隣アルゼンチンでは昨年のインフレ率が約100%だったことが発表されたばかり。不安定な南米諸国における経済政策の重要性は専門家でなくとも強調する点だ。
 ブラジルにおいても襲撃事件が続発するとか、デモ隊が主要街道閉鎖やエネルギー供給施設を妨害するなどの工作が次々に起きれば話は別だ。だが今のところ再発の兆しは見られない。
 その結果、市場としては静観することになったようだ。報道的には「民主主義への攻撃」「3権施設全部を破壊するなど米国事件より凶悪な歴史的暴挙」と大問題視する傾向が続くが、市場の見方はもっと冷徹だ。
 実際、大手小売店アメリカナスの巨額不正会計問題が露呈して株価が77%暴落した12日以降、ボベスパ指数は下げ続けている。それまでは、銃撃事件を挟んで6連続営業日上げていた。金融関係者には襲撃事件よりもアメリカナス暴落の方が深刻だった。
 600ものファンドが同株に投資していたとの報道もあり、中でも金額が大きかった不動産ファンドや銀行への波及、マガジネ・ルイザなどの同業他社は同様の不正を行っていないかといった問題に焦点が移ってきている。
 アメリカナスは13日に400億レアルの負債を宣言し、リオ司法裁判所(TJ-RJ)に法的会社再建(recuperação judicial)手続き開始を申請した。
 翌13日のボベスパ指数が0・6%下げたのも、アメリカナスの悪影響の続きと、ハダシ財相が発表した財政健全化政策が生ぬるいとの見方からだと言われている。
 色々な視点から見ることで、物事はより立体的に見えると痛感する。

実は腰が引けていたボルソナロと軍中枢

連邦議会を占拠したボルソナロ派支持者ら(Foto: Marcelo Camargo/Agência Brasil)
連邦議会を占拠したボルソナロ派支持者ら(Foto: Marcelo Camargo/Agência Brasil)

 今から書くことはまったくの憶測だが、「3権中枢施設襲撃事件はアンデルソン・トーレスら強硬派取り巻きが、腰が引けているボルソナロを決起させるために起こしたのではないか」と個人的には思える。
 14日、トーレスは米国マイアミから帰国し、ブラジリア国際空港で身柄を拘束された。五つの犯罪容疑で取り調べが行われている。マイアミには今もボルソナロがいる。トーレスはつい先月まで法相だったことに加え、現役の連邦直轄区保安長官であり、そのような人物が逮捕されるのは異例中の異例だ。
 ボルソナロは大統領任期中に、取り巻きに軍人をズラリと揃え、「3権の間に大きな諍いが起きれば軍が調停機関となって介入する」とさんざクーデターを仄めかす発言を繰り返した。
 それを本気で信じていたボルソナロ支持者強硬派が相当数いた。だが今思えば、その強気発言は票集めのポーズだったように思える。加えて軍の一部がそれに同調する発言をしていた。だが、軍中枢としては腰が引けていた。
 実は本人にも軍中枢にもクーデターをやる気がないが、今までその機運をさんざ盛り上げてきた手前、今さらそうとは言えず、ヤキモキした周りの過激派が暴走してしまったように見える。
 ボルソナロは決選投票で負けた時点で認める心境になっていたから、それ以降何も発言できなくなったのではないか。発言するとすれば、今までの路線を貫いて「選挙結果を認めないから政権を渡さない」という発言しかできない。
 「選挙結果を認めて、4年後に再挑戦しよう」と言おうものなら、「今までの発言は何だったんだ」と支持者強硬派から突き上げられる。
 仮定の話だが、昨年11月か12月時点でボルソナロ本人と軍部中枢に本気でクーデターをやる気があれば不可能ではなかった。トーレス法相(当時)は首都の陸軍本部前のボルソナロ派のキャンプを許し、そこには軍や警察関係者も多く出入りしていた。
 そこが襲撃事件の温床になったことは疑問の余地がない。襲撃事件には戦闘訓練を受けた軍や警察関係者も多数参加していた可能性が高く、デモ隊と鎮圧部隊がプロ同士だったから怪我人が少なかったのかもしれない。ただし仲間が仲間を調べる形になるだけに、どこまで摘発されるのか未知数だ。
 今回のような襲撃事件やその前に起きた空港施設爆破未遂事件がその頃に実際に同時に起きて、ボルソナロ大統領が「戒厳令」を出し、軍部が首都の治安を掌握、連邦議会を解散すれば可能だったかもしれない。
 1964年には米国の後ろ盾があったから、軍部は躊躇なくクーデターを実行した。だが今回はそれがない。後世に延々と批判を受けることを承知でクーデターを実行するほどの動機が、今回の軍にはなかった。
 13日、ボルソナロ政権時代のアンデルソン・トーレス法相の自宅捜索から、昨年11月に「防衛状態」(Estado de Defesa)という戒厳令の一種を発令して臨時政権を樹立させることで選挙結果を認めないようにする宣言の草稿が発見されて、波紋を呼んでいる。
 当時、怖じ気づいているボルソナロを後押しする強硬派の工作が政権内部で行われていた可能性を示唆するものだ。だが実行はされなかった。
 問題なのは、本人にも軍部中枢にもその気がないのに、正直にそう言わず、強硬派にクーデターを期待させたままにしたことだ。

トーレスによる周到なお膳立て?

ボルソナロ政権の法相時代のトーレス(Foto: Tom Costa/MJSP)
ボルソナロ政権の法相時代のトーレス(Foto: Tom Costa/MJSP)

 今まで「ボルソナロと軍がきっとクーデターをやってくれる」と信じてきた支持者強硬派は選挙結果を飲み込まず、軍施設前で軍介入を求めるデモを繰り返していた。ボルソナロは支持者強硬派から突き上げられる中で、いずれ襲撃事件が起きることを予知していただろう。
 このままブラジルにいて首都襲撃が起きたら、自分がクーデターの蜂起責任者にならざるを得なくなる。それを避けるために米国へ逃げた。
 マイアミではセルラーを変えて、ごく少数にだけ新番号を知らせ、仲間の政治家にすら教えなかったという。だから襲撃事件が起きた直後に、仲間の政治家がボルソナロに連絡を取ろうとしてもできなかったと報道されている。
 ボルソナロ政権で法相だったトーレスは、1月2日に連邦直轄区保安局長に任命され、就任後すぐに3権広場の警備を緩める命令を出し、襲撃事件の前々日に米国休暇に入った。
 1日の大統領就任式時にはまったく警備に問題はなかった。だが翌2日に就任したトーレス新保安長官が3権広場の治安体制を骨抜きにしたために、今回の事件が起きやすい状態が作られた。「防衛状態」宣言にしろ、3権広場の治安体制を骨抜きにして襲撃事件を準備した疑いにしろ、トーレスはボルソナロにクーデターを決起させる火付け役になろうとしたように見えなくもない。
 それに加え、軍が管轄する大統領府安全保障室(GSI)や大統領府警護部隊も襲撃事件の直前に警備体制を変更するなど奇妙な動きがあったと報じられている。襲撃時に大統領府や最高裁の入口や裏口が開いたままにされるお膳立てまであったと報じられている。
 明らかに州軍警や軍の一部が襲撃を助けた。ここに強硬派の一部が潜伏していた。ルーラは新政権を発足させて人事の入れ替えをするときに、それを残してしまった。

本気のクーデターとただの破壊行為の差

徹底的に壊された最高裁内部の様子(Foto: Valter Campanato/Agência Brasil)
徹底的に壊された最高裁内部の様子(Foto: Valter Campanato/Agência Brasil)

 不思議なのは、実に周到に3権中枢施設襲撃がお膳立てされているのに、単なる破壊行為で終わった点だ。本気でクーデターをやるなら、占拠をしたらすぐ臨時政権樹立を宣言し、軍に支持を要請し、国民に支持を訴えなければならない。
 ボルソナロがいれば、彼がそれを宣言すればいいのだが、肝心の彼は米国に逃げていない。トーレスが警備骨抜きの仕込みをした後にすぐ渡米したのは、ボルソナロに「もう支持者は首都襲撃に立ち上がった。あとはあなたが臨時政権樹立を宣言するだけ」と最後の説得をしにいったのかと疑いたくなる。
 ボルソナロの代理を立てて新政権発足をさせる段取りはなかった。支持者強硬派はあくまで、「最後の最後でボルソナロは必ずクーデターを宣言する」と信じて参加したのではないか。
 だがボルソナロが宣言しなかったことで、ただのケブラケブラ(破壊行為)に終わった。最も彼に忠実だった強硬派という仲間を裏切ったボルソナロは、今後支持率を大きく下げるだろう。
 13日(金)、ボルソナロは自分のSNS上の肩書を、まるで今でも大統領であるかのような「ブラジル連邦共和国大統領」というものから、「第38代大統領」という過去の役職を示すものに変えた。これは支持者強硬派からは絶望的な裏切りに見えたかもしれない。このSNS上の役職が「選挙には不正があって無効だから、今でも私が大統領だ」という意思表示と取れるものとして、ボルソナロ支持者からは思われていたからだ。
 襲撃事件が実際に起きたことで、ボルソナロは事態の異常さにようやく気づいたのかも。支持者強硬派をその気にさせた罪は重い。今まで彼が言ってきたことを信じた支持者強硬派が起こした襲撃事件であり、「関係がない」との言い逃れは難しいだろう。
 選挙運動を支えた大多数が居なくなった後、一部の強硬派が暴走して起こした主役なしのクーデター未遂、末期的事件という意味で「ブラジル版あかま山荘事件」のように見える。

右派勢力は4年後に向けて野党としての仕事を

 今回の襲撃事件に関して、不気味なことに軍は何もコメントを出さず、批判をしていない。ルーラが指名したジョゼ・ムシオ国防相は7日の閣議で、「ボルソナロ派の主張は言論の自由の範囲内だ。私の親戚も陸軍本部でキャンプしている」と明言した。フラビオ・ジーノ法相が「軍介入を求めるのは民主主義から逸脱している。言論の自由の枠外だ」と主張しているのと真っ向から対立していた。
 襲撃事件後、ルーラ大統領は12日のジャーナリストとの朝食会で、ムシオ国防相に関して「私は彼を信頼している。彼はこれからも職務を続ける」と宣言した。これは、政治評論家から言わせると「フリッツーラ(炒める)を始めた」ということらしい。
 ブラジル式人事では、辞めさせる準備としてこのフリッツーラをしばらくやる。この期間には「信頼している。絶対に辞めさせることない」とやけに強調することで、逆に「オレが求めていることができなければ辞めさせるゾ」という脅しになっている。辞めさせる直前の儀式だ。
 ボルソナロ政権の間には、憲法第142条にある3権に不調和が高まったときに軍が「調停者」になるという一文の解釈が注目された。ルーラは今回「軍には調停力はない」と断言している。その方向に軍内部のコンセンサスを持って行けるかどうかが新国防相に与えられた試練だ。現政権内に居残った隠れボルソナロ支持者強硬派の摘発や排除も重要な課題だ。
 とはいえ、今回棚ボタ式に一番得をしたのがルーラだとの報道も多い。ボルソナロ側だった勢力でもこの襲撃事件を批判する者は多く、右側が勢いを失いそうだ。
 本来なら右派が今すべきことは4年後の選挙に向けた準備だ。ルーラが勢い余って何かをやり損じたとき、すかさず鋭く批判して野党としての存在感を高めるのが右派勢力の仕事のはずだ。
 今回のように自滅してしまっては4年後につながらない。もしくは「もう右もダメだ」という諦めから「第3の道」が生まれてくるのかもしれない。(敬称略、深)


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