《記者コラム》シルヴィオ・サントス=日本で例えると誰?

シルヴィオ・サントス氏が17日に逝去した。週が明けてそれなりにニュースも多いので、亡くなった週末ほどではないが、それでも依然として報道は多い。彼の死を受け、国とリオ州が3日間、サンパウロ州が7日間の服喪を命じたほどなのだから、それもそうだろう。
コラム子はふと、「シルヴィオ・サントスは日本で例えると誰になるのだろう」と、亡くなった時から考えているが、該当する人を全く思いつかない。シルヴィオが生前に到達した域にまで達した人物がいないためだ。
まず、「芸能界の大御所」というところで考えてみた。シルヴィオは生前、入院する度「Xデー」がささやかれていたが、日本で「実は亡くなった時の新聞紙面はもう出来ている」とのバッド・ジョークをささやかれていた意味で森繁久彌と森光子を思い出す。
彼らとシルヴィオで共通点があるとするならば、「かなりの高齢になるまで現役で大御所だった」というところか。ただ、森繁、森ともに資産は大きかったとは思うが、シルヴィオのように、晩年になるまで国全体の長者番付でトップクラスに居続けるほどの富豪だった話は聞いたことがない。
シルヴィオといえば、国民から大統領になることを強く希望された人物としても知られているが、日本でそれに該当する影響力を持つ人物としては北野武か。彼がまだ映画監督として世界的巨匠になる前、80年代後半に「コメディアン、ビートたけし」として圧倒的人気を誇った時が一番それに近かったように思える。
だが、結局選挙の出馬を一度もしなかったたけしに比べ、シルヴィオは1989年の、民主政権復帰後の初の大統領選で、投票1週間前まで大統領選に出馬した状態で29%もの高い支持を集めていた。他の候補の訴えで彼の出馬資格が取り消されていなければ、彼は今日、異なるイメージで世に語られることになっていただろう。
そしてシルヴィオといえば「日曜夜の顔」。1981年から2023年まで42年にわたり自身の番組の司会を続けた。奇しくも日本も、日曜の夜には定番番組が多い。フジテレビの「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」、日本テレビの「笑点」がそれにあたり、それらはいずれも「国民的番組」と呼ばれた。シルヴィオの国民的なポジションもそうして築かれたものと呼んでも過言はないような気がする。
「森繁久彌とたけしとサザエさんを足して3で割った感じ」。乱暴なまとめ方をしてしまうとそういう感じかもしれないが、それだけ「ありえない存在感」だったということか。(陽)