《記者コラム》「ルーラ対ボルソナロ」=からの脱却が必要では?

「大統領選はルーラ氏とボルソナロ氏でないとダメなのか?」。ここ最近のブラジルのニュースを聞くにつけそう思う。左派右派共々、あまりにもこの2人に頼りすぎている。
ルーラ氏及び左派にとって2022年の大統領選は、ラヴァ・ジャット作戦による実刑判決でルーラ氏が出馬できなかった18年大統領選のリベンジ戦としての期待感が強く、彼以外の選択肢は考えられなかった。
だが、「ルーラ氏の後継者問題」は本来、2010年代には片をつけておかなければならない問題だったはずだ。いくらルーラ氏が2000年代に経済的繁栄期を築いたからといって、その威光がいつでも通用すると思い、80歳を超える年齢になってもまだ同氏の影響力に期待し続けるというのは、彼にとっても酷だ。
「後継者が育っていない」などと言い続けていては、いつまでたっても後継者は育たない。そろそろ覚悟を決め、本気で後継者を選ぶ段階に入らなければいけない。それが出来なければ、ルーラ氏が去った後の労働者党(PT)には弱体化が待ち受けるだけだ。支持率が伸び悩む現状が続くようなら、2026年大統領選挙ではプランBを用意しておいたほうが良いだろう。
そして右派も右派だ。連邦議会で恩赦法をゴリ押しして、ボルソナロ氏の被選挙権回復を目指しているが、これも正直なところ理解に苦しむ。
コラム子はボルソナロ氏を、性的・人種的少数派や宗教的進歩派の大きな声に対抗する象徴として担ぎ出されているにすぎないと、同氏の大統領選出馬がささやかれ始めた2016年頃からそう見ている。それはズバリ、米国のドナルド・トランプ氏にもあてはまる側面がある。
だが、国民が今、求めているのは「経済の立て直し」だ。そこにボルソナロ氏を担ぎ出す意味はあるのか。2018年の大統領選では財相にパウロ・ゲデス氏が指名されたことで金融街ファリア・リマが色めき立ち、それが当選にも繋がったが、そういう奥の手が今のボルソナロ氏にあるのだろうか。
右派政治家にはタルシジオ・デ・フレイタス(サンパウロ州)、ロメウ・ゼマ(ミナス・ジェライス州)、ロナウド・カイアード(ゴイアス州)、ラチーニョ・ジュニオル氏(パラナ州)と保守派知事が層厚く揃っている。ボルソナロ氏に頼らずとも、現在の経済状況と今後を考えれば、彼らを擁立する方が有利になる気がするのだが。
右派がこのままクーデター計画疑惑のネガティヴなイメージが拭えないボルソナロ氏に固執すれば、楽に勝てる選挙でも足をすくわれかねない気がするが。(陽)