《記者コラム》今も息づく高拓生の歴史=日語教育との知られざる繋がり=アマゾナス州の特別な好循環

「そこからそうなるのか――」。1日、西部アマゾン日伯協会の教育担当理事、錦戸健さん(73歳、石川県出身)からアマゾナス州の日本語教育の話を聞きながら、深い感銘を覚えた。同日伯協会が運営する日本語学校はブラジル最多の生徒数を誇り、アマゾナス連邦大学には日本語学科があり、ブラジル唯一の州立日本語バイリンガル校まである特色ある地だ。その歴史を聞きながら、高拓生の歴史が脈々とつながっている、そうしみじみ感じさせられた。
高水準な教育レベルを誇るバイリンガル州立校
ブラジル日本移民史料館で1日、JICAブラジル事務所・サンパウロ大学共催の旧大正小学校開校110周年記念特別展「ブラジル日本語教育のあゆみ」の開幕式が行われ、JICAから日本語モデル校代表、国際交流基金サンパロ日本文化センターから大学等の日本語教育機関代表らを顕彰するセレモニーがあった。

その際、アマゾナス州教育局のアルレッテ・メンドンサ(Arlete Mendonça)局長に、2016年に州立日本語バイリンガル校が設立された理由を尋ねると、「我が州では昔から日系人との絆は確固たるものがあり、日系進出企業も多く、総領事館や国際交流基金などとの連携も密で、とてもいい関係を築いているからこのような学校を作った」とのこと。
学校の評判については、「ここでは日本式の礼儀作法から教える。日本文化を学ばせようという親が多く、珍しい全日制ということもあって、入学希望者が殺到して、選考倍率が高くて大変」と述べた。現状日本の小学6年+中学生に当たるフンダメンタル2(4年間)で750人、高校に当たるエンシーノ・メジオ(3年間)で550人が学んでいる。
この学校では生徒の大半は非日系だが、日本語を週4時間教えるだけでなく、算数や理科などに使う日本語も4時間教えており、日本語教科を計週8時間も教えている。さらに日本文化を習う授業やイベントもあり、卒業生からアマゾナス連邦大学日本語学科へ進学する者も多いという。他の州ではありえない日本語による公教育が、ここでは行われている。

アルレッテ教育局長は「同校の基礎教育開発指数(IDEB)は5・9で、州最高レベル、国としても高水準にあります」と胸を張る。ウィキペディア「Ideb」(2)によれば、これは、公立学校の教育の質を測定するために連邦政府が作成した指標。目標は、経済協力開発機構(OECD)諸国の教育レベルである指数6・0に到達すること。6・0は世界上位20カ国が獲得したスコアで、同校の5・9は限りなくそれに近い。
アマゾナス州教育局サイト24年7月8日付記事(3)によれば、このバイリンガル校はマナウス市南部に所在し、校名はジャルマ・ダ・クニャ・バティスタ教授全日制公立学校(通称エティ、Eeti Professor Djalma da Cunha Batista)。1980年に設立され、2006年以来、全日制で運営されており、2016年からブラジル初のポルトガル語と日本語のバイリンガル全日制公立学校となった。
同記事によれば、パラー州教育省(Seduc-PA)代表者らは同7月8日に同校を訪問し、パラー州に同様の教育ユニットを設置するために視察をしたとある。つまり、エティ校のバイリンガル教育システムは注目を集め、近隣州にも広がろうとしている。

ジュート栽培をブラジルに導入した高拓生の貢献
話をしながらも、「このような親日的な優秀公立校が、なぜ突然に設立されたのか」という疑問が頭から離れなかった。もちろんアルレッテ局長がいう理由も理解できるが、それだったら他の州でも良かったはずだ。なぜアマゾナス州なのか―という点を、錦戸さんにぶつけてみると、意外な答えが返ってきた。

「それは高拓生のジュート栽培ですよ」―それを聞いて、目からウロコが落ちた。「ああ、そこからここに繋がっているのだ」と移民史の奥深さを実感し、深い感動に包まれた。
「尾山良太さんが適応種を見つけだし、高拓生がアマゾン流域のブラジル人に広めたジュート栽培によって、それまでインドから輸入したジュートを使ってコーヒー袋にしていたが、念願の国内生産が可能になった。これはアマゾナス州の主要産業となり、戦前の州GDPの35%を占めるほどになり、多くの州民の生活を支えた。その歴史への感謝を州民は今も強く持っている」との言葉に、独自の州民性を感じた。
「高拓生」とは、上塚周平の従兄弟、日本の国会議員・上塚司が、開拓リーダー育成を目的に東京に設立した「高等拓殖学校」の卒業生のこと。1931年から37年までの間に約250人が送り込まれた。入学資格は旧制中学卒業以上、日本で一年、同州パリンチンスの奥地ビラ・アマゾニアに作った学校で、一年間実地訓練をするという移民拓植事業としては極めて特色のある体制であった。
1879年に岡山県に生まれた尾山良太は藺草の敷物製造をし、藺農業組合理事長をつとめた人。上塚司の依頼を受けて、高拓生の息子とともにアマゾンに行き、ジュート栽培を成功に導いた大功労者だ。詳細は『西部アマゾン日本人移住70周年記念誌』PDF版(4)をぜひ見てほしい。
さらに「1967年にマナウスが自由貿易地区(ZFM)に指定され、良質で安い日本製品が大量に流れ込み、日本進出企業が続々とやってきて、地元民を多数雇用した。これによって、再び州民は日本に対する親近感を強め、日本人への信用を高めた。この積み重ねが、現在の日本や日本人に対する信用のベースになっている」と解説した。
このZFMは、連邦政府がアマゾン奥地開発を図るために1967年に設立した特区だ。ホンダ、ヤマハ、パナソニック、ソニー、サンヨー、富士フイルム、東京海上、TDK、村田製作所等の約30社の日本企業が進出している。

高拓生がビラ・アマゾニアに作ったアマゾニア産業研究所は、大戦開始で連邦政府に没収され、大半の日本移民はパラー州のトメアスー移住地に隔離された。同移住地は強制収容所のような役割を持たされ、両州の日本移民が収容された。錦戸さんによれば、「ただし、ジュート栽培をしていた高拓生は強制収用を逃れたそうです。だから尾山良太さんらも戦争中、農業を続けられたそうです」とのこと。
戦後、強制収容が解かれた後、多くの高拓生はマナウスに出て、その子息は教育を受けて、企業家などになった。在マナウス日本国総領事館サイト(5)によれば、その高拓生子孫が同級生や友人のブラジル人州議員に働きかけて、「高拓生移住80周年記念アマゾナス州議会特別セッション『絆の日』」を2011年10月25日にアマゾナス州議会議場で行った。
この時、第2次大戦中の高拓生に対する敵国人としての迫害に対し、アマゾナス州議会による正式な謝罪が表明された。なお州議会では謝罪表明する州法第97号が10月20日付州議会官報に掲載された他、千葉守氏(高拓生)に対する名誉州民の称号を付与する州法第98号が同日(10月20日)付で州議会官報に掲載され、東海林善之進氏(高拓生)に対する名誉州民の称号を付与する州政府の州令も8月22日付の州政府官報に掲載された。

錦戸さんは「この謝罪表明の際、3人の高拓生生存者がセレモニーに出席されました。そのうちの東海林さんが謝罪表明を聞いて、ボソッと『確かにあの時、殴られたり辛い目や痛い目に遭った。でも、これで肩の荷が下りた。謝罪してくれたから、水に流す』と言ったんです。それを、ボクがポルトガル語に通訳して会場に伝えたら、感動が広がりました」と思い出す。
東海林さんは97歳、車椅子に乗って式典に出席していた高拓生の生き証人だ。おそらく亡くなった高拓生の中には、財産没収や暴力などに歯を食いしばって耐えたものも多く、その遺恨が東海林さんの肩に重くのしかかっていたのだろう。
教育を望んだ高拓生子孫の想いが結実
錦戸さんによれば、「高拓生2世たちは『戦争もあって、自分たちはあまり教育を受けられなかった。だけど、子どもたち(3世)にはもっと教育を受けさせたい』という強い願いを持っていた。それが日本語バイリンガル学校設立に向かったのでは」と見ている。
その謝罪を実行に移すように、2011年からアマゾナス連邦大学に日本語学科が設立された。各学年30人の枠があり、錦戸リンダ教授が責任者だ。ここの卒業生が現在バイリンガル校の教師となり、さらに日系進出企業の通訳としても多く採用されている。

翌2012年に当時のアマゾナス州教育局長のロシエリ・ソアレス氏が、日本語のバイリンガル州立校設立プロジェクトを立ち上げ、実際に2016年から中学部が、19年から高校部が始まった。
ソアレス氏は、アマゾナス州教育局長(2012年~2016年)、テメル政権時代にブラジル教育大臣(2018年~2019年)、ドリア聖州知事時代に聖州教育局長(2019年~2022年)、パラー州教育局長(2023年~現在)という教育関係の要職を歴任している人物だ。全国で26位だったパラー州のIDEB順位を、昨年一気に6位まで上げるなど気鋭の政治家だ。
錦戸さんが本人と直接に話した際、どうしてバイリンガル校を作ったかという話になり、「こんなに日系人も活躍して、日本進出企業もいっぱいあるのに、日本語バイリンガル校がないのはおかしい。だから作った」と話していたという。
さらに「最初の校長は『なんで英語じゃなくて日本語なんだ』と局長に疑問を呈したところ、局長から『2週間、日本へ行って教育制度を視察して来い』と命令され、帰ってきたら『確かにそうだった。良く分かった』となったという話を聞きました」と笑う。
つまり、子どもや青年層は西部アマゾン日伯協会が運営するブラジル最大の日本語学校に通い、そこで日本語が好きになった生徒は、州立バイリンガル校に入学して、さらに高度な日本語を学びたい学生は連邦大学に進学し、卒業生は日本語教師や通訳として生活を保障され、その子供が再び日本語を学ぶというサイクルが、ここでは出来上がっている。
このように日系団体日本語学校、州教育機関、連邦教育機関、日本進出企業が見事な緊密連携をする地域は、他に見当たらない。その要となったのはソアレス氏のような親日ブラジル人政治家の存在であり、どの一つが欠けても現在の好循環を形成するには至らなかった。そして何より、全ての基礎には、高拓生とその子孫が身を艇してブラジル国家に貢献してきた歴史がある。(深)
(1)https://qedu.org.br/escola/13027816-escola-estadual-professor-djalma-da-cunha-batista/ideb
(2)https://pt.wikipedia.org/wiki/Índice_de_Desenvolvimento_da_Educação_Básica
(3)https://www.seduc.am.gov.br/
(4)https://www.brasilnippou.com/iminbunko/Obras/38.pdf
(5)https://www.manaus.br.emb-japan.go.jp/pdffile/201303_80anos_kotakusei.pdf